文・写真 / 青野まつり
うちの祖父は戦時中に3年ほど南国の島に置いてきぼりを喰らい、救援も無くサバイバル生活をしていたらしい。
虫、植物、生きるために食べるものはなんでも食べる。仲間が次々と死んでいく。空から銃撃されて足の指を失う。
そんな過酷な状況を生き延びた。
このサバイバル時のメンタルを戦争が終わってもそのまま持ってきたのだろうか。
祖父は言動が関西弁の水谷豊のごとく穏やかなのに、行動はエキセントリックだった。
<私が子供の頃の祖父>
・庭で祖父に「飲んでみろ」と緑色の液体が入ったコップを渡される→メロンジュースだ!と一口飲んだ瞬間に吐いた。盆栽をミキサーにかけた「青汁」だった。
・庭に生えているタケノコをその場で切って「食べてみろ」と渡される→当然アク抜きをしていないので舌が痺れて吐いた。
・庭の雪に砂糖をかけて「食べてみろ」と言われる→普通においしかったが祖母に「病気になりたいのか!」と2人とも怒られた。
<母から聞いた昔の祖父>
・家族で車に乗っている時に、パトカーを猛スピードで追い抜かし連行された。
・飼っていた犬を金閣寺に捨てた→家に戻ると自分より先に犬が戻っていた(この犬も祖父のサバイバル力を受け継いでいたのかもしれない)
・お風呂を自力で庭に作り大家に訴えられる→「上等じゃあ!」と訴え返した→当然負けたが、私の代までずっとそのお風呂は役に立ちました。ありがとう。
大学生になり、私は祖父母の家の近くに引っ越した。
そこから4年間祖父と過ごした日々は楽しく、自分にとって初めての「家族団欒」らしい日々をもらったと思う。
その中で祖父らしいエピソードはというと、
・パン屋でクロワッサンを1kg買おうとした→私は止めた。重さ以前にごみ袋いっぱいのクロワッサンを持って帰るのは嫌だった。
・自分が着ていたぼろぼろのセーターを突然脱いで「やる」と差し出す→少し遠慮しつつ「ありがとう」と受け取ると、祖母に「あんたも断りなさい!」と怒られた。
でも、エキセントリックなだけではなく、私が祖父を尊敬する理由になっているエピソードもある。
・近所の中学生が家に泥棒に入り祖父と鉢合わせ→その子を連れてその子の家へ行き、親に「おこづかいをあげてやって」と頼んだ。
・叔父さんがヤクザの女に手を出し手切れ金を要求された→どこからかすっと「金ののべ棒」を出し、「もう、するなよ」と一言言った。
私が上司とけんかして会社をクビになったり、病気になって何度入院しようが這い上がって来られたのは、祖父のサバイバル力の遺伝の賜物かもしれない。
戦時中も現代社会も、サバイバル力は必要不可欠だ。
青野まつり Matsuri Aono
1984年生まれ
クリエイター
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