文 / 町田哲也
膝に頭蓋のかたちが透けた顎を乗せ細長い臑を抱いている骨腕の外側も内側にも幾筋かの傷跡が南方の民の泥を擦り込んだ彫物のように膨れて走っているので思わず腕を伸ばし指先で触れると、姿勢を崩さず嫌がる素振りもなく童顔とも大人とも云えない表情の変化のない面相の窪んだ穴の中の目玉だけをこちらの指先へすっと動かしてから腹に巻き付けたモノを捲りとり自分の脇腹を晒し変形した肋の、岩が削ったかの歪んだ炎の筆痕のようにもみえる大きな傷痕を、手のひらで広げ男は口元を曲げて頑強な歯茎をみせたので笑っているのだと呆れつつ理解した。こちらの貌の広がりをみつけたのか男はやおら四つん這いになり腰巻きも落とし獣の格好をして太腿から尻にかけて閉塞した臍のようなみっつの傷をこれまた皮膚を引っ張るようにして示す。散弾の痕だと思われる。その傷にも触れて痛かったろう玉はどうしたと小さく声をかけると、指をひとつ前に突き出し唇をとがらせ(ぱん)と音の無い口の形をつくった。尻の穴も陰茎も金玉もこちらに晒したくせに無邪気さはそこにはなく、男の動作の早いようでいて静止が不思議な間隔で挟まる沈黙の仕草の速度だろうか動きだろうか、どこか哀しみが漂う風情は消え失せることはない。誰が縫ったか人の所有を離れたTシャツや下着やスカートの縁の荒れた模様断片をちぐはぐに縫い合わした滑稽さがむしろ凄惨に感じられる継ぎ接ぎの帯布を腰と腹に巻き付けて膝を抱え、やはり顎を膝に乗せて半身を緩く前後に揺するように焚火へ掌を広げる。男の瞳の瞳孔は絞られて炎を捉えこちらが薪枝を焚火に放って火の粉が立ち上がると広げた指が握られる。足元の皿には焼いた魚が残されている。膨れた髪に隠れる昏い表情からして食欲は失せたようだった。炭焼きの木崎の親父が布状の衣を洗濯したせいで男からは彷徨者特有の臭みが漂うことはなかったが、熱で温められた腕肉からやがて骨まで染み込んだ動物が香るようだった。ところどころ泥か樹液で固めたのだろう森の中の苔の匂いがする不揃いに断ち切った髪も無理矢理洗ったと親父から聞いていたけれどもその剛毛は未だに解けず小さな枝が幾つも新たに巻き付けてあり、一つの枝にはまだ青い葉が残っている。骨が皮膚からつきでる危うさで脂が抜け落ち痩せているのだが皮膚を張り骨を動かす肉は堅牢で無駄がないように見受けられた。朝早くから野良の仕事を重ねていたので私には積もった疲労があった筈だったが男への関心がみつめる度に膨れるので意識が前のめりに軀から離脱している。男には舌がないので喋らないが彼の住処である岩穴寝床にはラジオがあってどこから調達するのか乾電池もあり炭焼き小屋の風呂の中では電波を聴いて憶えた風な鼻歌のようなものを唸りつつ口遊んでいたらしい。それを聴くとなぜか心地よいのだと木崎は付け加えていた。脇に置かれた樹皮を重ね樹液で固めた甲冑のような男の奇妙な道具を手にとり鼻に近寄せて嗅ぐと男は炎から眼差しを外しこちらの仕草を目で追ってから歯茎を剥くのだったがそれは笑いではなく諭しととれた。お前はこれを身につけているのかこれは何か。尋ねるジェスチャーを腕を使って繰り返すと、いきなり道具を細長い腕を伸ばし掴んで軀に取り付け始める。肩から腕へ腰から頚へ腰から膝へ太腿から足首へ樹皮と削り磨いた枝がどういう理屈かわからぬ組み合わせの奇妙な繋ぎ方で軀の関節に連結されていく。枝の曲がりに沿った形の樹皮なのか使ううちにそのように熟れたか、それらを蔦で軀に縛り付けながら四肢を幾度か大袈裟に上下左右に振って背も曲げて伸ばし部位の状態を確かめてから立ち上がると巨鳥か天狗の身の丈になるのは、腰と膝から踵を括りつけた枝と樹皮が竹馬のように軀を支えるからだったが、不自由無く立っているばかりでなく、その異様な身丈のまま大股で茂みに走り込んでこれも手長猿のように伸びた義手にもみえる腕先で高さのある樹木の枝にぶらさがり、渡り移る速度を目で追うと先程隣で歯茎をみせた人間とは思えない。わかったから戻ってこいと声をかけるとこちらへ向きを変えるのだった。折れた樹木が風で吹き飛んでいるようにもみえる。火の傍に戻り難なく足首の蔦をするする解いてストンと地に素足で降り立ちそのまま先程の膝を抱える姿勢になると樹皮が背後から広がって人の輪郭を更に隠すのだった。時折こちらの肩越しや背後の森へ頤を捩り曲げ双眼鏡のような目玉が遠い何ものかを凝視し尻から背骨が立ち上がり鹿のように静止する。指先も足も動かない。こちらはそんな男の挙動から次の瞬間には高く飛び立つのではないかと怪しむ気持ちが生まれるのだった。おそらく逃げ隠れるばかりでなく人であれ獣であれ出合頭威圧すべきでもあると学んだ形なのだろうか。男の甲冑の異様の意味を勝手に浮かべたが、樹木と化した姿態には動きをみれば沢を渡り谷を下る為の機能性も加えてある。樹皮と部位の詳細をみれば崩れを防ぐ工夫が緻密にこしらえてある。自力で幾度も改良を重ねているに違いなかった。私は互いの胸を指しこちらの名を繰り返し言葉にしてからお前の名前はと尋ねると、うぇと妙に明るく唸るだけだった。
峰から重い霧が流れ降りて一気に葉の色が変わりはじめた日の夕刻に炭焼きの木崎が、脇に枝束のようなものを抱えた痩せた男の腰から伸びた紐を掴んで歩いて来たので、外の焚火で夕飯を摂ることにした。私は終日枝を払い薪を割り土を掘り返した作務の後だったので、彼らの様子に気をとめなかった。火の回りに座り魚を炙り酒を注ごうとすると神沢の淵で釣りをしようと渓谷を辿り昇った岩の間にこの奇妙な格好の男が倒れていた。木崎は滔々と話しはじめた。それがこれだと隣の男を顎で指す。下腹が横に裂けており血の流れた痕があったがそれは乾いていた。腹の傷よりもどうやら滑落し頭を打ったようなたんこぶがあって死んではいない。背負って小屋まで担ぐことができたのは女子供のような軽さだったからだ。一日過ぎて目を覚ました男に汁を喰わせると鍋半分を腹に入れた。暴れることもなく大人しく言うこと聞いていたがやがて喋らないので口を開けさせよくみれば舌の半分が切り取られたかに短く縮んでいる。お前は「さとる」かと尋ねたが男は応えずに汁を喰い終わるとまた囲炉裏の脇の藁に潜り込むようにして眠り込んだ。その名は山人が付けたものだった。炭焼きの親父は初めて出会ったのだったが、これまで時折「さとる」の話は聞いていた。女の通わぬ渓谷上流の岩穴に住まう「さとる」は座敷牢から逃げた者だと数人の山人は囁き合って時折差し入れをすることもあった。木樵は仕事を手伝わせたこともあると話したという。迷い込んだ里の人間がさとるに出会えば異形に驚き、遠くから獲物を追った狩人は動き呻く樹木に発砲したという。三日目の鹿を鱈腹喰った夜に「さとる」の姿は消えていたが、座る便器を使わず屈んで背を曲げ尻を地穴に差し込む格好で糞を垂らすせいで縫い合わせた腹の傷から血がにじみだしていたので、気になり聞いた話をたよりに岩穴を探しに出かけたと炭焼きの親父は隣に座らせた男に時折目をやりながら酒を煽った。男は差し出した焼魚を貫いた枝ごと受取り、まず頭から尾まで唇でぴちゃぴちゃと嘗めるようにしゃぶりながら幾度か嗅いでから両手の指で器用に取り分けて口に放り込み長い間顎を動かしているので一匹が腹に収まるまで随分時間がかかった。酒を水のように喉に流して一度咳き込んだ。だがどうにも場所がわからない。木崎は話を続ける。三里ほど西の小さな谷の合間の土地で米をつくっている坂本の爺に「さとる」の話を俺は最初に聞いていたから行ったのさ。すると野郎の処にいるじゃねえか。こいつがさあ。
南北両脇の流れに彫り込まれて遺った山塊に住んだあの山の民は時に荒くれる濁流から逃れるように高地に住まって下の者らとの交わりを避けるようにして近しい血で結ばれる時を綿々と重ねたから類稀な「卑しいもの」が生まれそれを隠すように人目を憚って別の山に牢を拵えて匿うというより隠した。戦中の傀儡時には里にある病院に収容されていた。今時になって外から血が入ってもそうなったらこうしろという長い暗黙の歴史の気質は残されたらしい。俺はふたつほど山の中の朽ちた牢をみたことがある。最初は獣罠か獣小屋と思ったが便器があってな。魂消たよ。拉致監禁だ。外から大工を呼んで口封じを懐に差した堅牢なものもあったらしい。家人が世話をしたが情愛のほどはわからない。姨捨のようなものだ。さとるは座敷牢から逃げ出して山を越えあの岩穴に隠れたようだが舌が千切れているだけで「卑しいもの」の徴がない。もしかすると生まれる筈のない不埒の子が隠されたのかもしれぬ。座敷牢にしろ岩穴にしろさとるにしてみればどちらも同じようなものだがな。おそらく世話の人手が絶えたかして自力で過ごしたのは二年ほどだろう。冬場は閉鎖された牧場の畜舎などに身を寄せたかもしれない。よく生きながらえたわ。三人の山人が三年前にさとるに気づいて交代で世話をするようになったがそれぞれ家人には内緒にした。かかあらはやれ警察だやれ役場だとさとるを施設か病院へ、そうでなくても人間社会に戻そうとするから去年の冬の間は独り者の俺のところに住まわした。とはいっても納屋で寝かせて昼はどこぞへ消えるような手薄だったが腹を空かせば戻ってきた。山奥の辛うじて小さく平たい代々が倹しく引き受け続けた田のそれでも脱穀すれば山積みになる籾殻に突き出た燻炭器から立ち上る煙りの脇で、顰めた瞼の奥に何かを探るかに瞳を透き通らせて自分の髭を撫でた指を嗅ぐような素振りを加え坂本は奴を振り返って事の詳細を話したという。俺たちはさとるを匿うことにしたわけさ。可哀相じゃねえか。木崎は独りもんだしいずれさとるに出会うだろうと坂本は木崎に成行きを吐露することで擁護を願いでた。こいつは馬鹿じゃねえけど喋らんので読み書きを教えたらどうかとまで話をすすめ、測量士の私のところへ連れていくことにしたという。保護者になるわけではない。好きにさせてやってくれていいから。と木崎は私の器に酒を注いだ。
町田哲也 Tetsuya Machida 1958年長野市生まれ
藝術と思想
ブランチング企画責任 クマサ計画主催
iam@machidatetsuya.com
枝間ノ闇
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