欠けたるは欠けたるがままに

文 / 平松良太

ジョン・クランコの作品と私との出会いは10年の月日を遡る。
激烈にしてドラマチックを極めた同年代のマクミランと比べ、クランコの表現は何処か控えめでさっぱりとしている。
しかし、それはダンサーの身体表現を中心に観たときの話かもしれない。
簡潔な語り口、人物の配置や光の当て方一つからも、人間に注がれた深い眼差しと審美眼ともいうべきものを感じとる事が出来る。

クランコが描いたのは上流階級の複雑さを秘めた男性の物語だった。
私が描いたのは「もっと平凡な誰か」だと思う。
どこの誰かは、わからない。
夢であるのかもしれないし、他者の記憶かもしれない。
何もかもわからなくなったその日によぎる琥珀色の蒸留酒かもしれないし、
まだ開かぬ眼と手で精一杯に見あげた空だったのかもしれない。

ピアノは人間だ。
生まれと環境、経過や接点が音に影響する。
同じ楽器でも個体によって、その響きや感触は全て違う。
そこに調律師の丹念な調整と個性が入り、スタジオやホールからは特有の表情が生まれる。
それらの変化を細心の注意をはらって、エンジニアがオーガナイズする。
そして、最後が演奏者だ。
ピアノを弾くという事は、一番外壁に近い部分で仕事をするということだと思う。
自分は最高の塗装工を目指している。
しかし、彼には塗装工として、完璧に塗る以上に求められている事がある。

ピアノを人とするのならば、このアルバムは三人の役者が語る一本の映画と言っても良いかもしれない。
思うに任せないことがあるのは人もピアノも一緒だ。
録音の初日、調律時にインペリアルの弦が断線した。
歪んだ音も予測できないアクションも、それはそのピアノの生き様といえる。
ピアノは決して魔法の箱などではない。
故に、私はその平凡さを愛する。

ジョン・クランコの作品に出会った日、霞がかった世界が一瞬、晴れたような気がした。
以来、クランコは私のアイドルだった。
彼の芸術の前に、自分の作品は足元にも及ばない。
だからこそ、この作品を彼に捧げたいと思う。

平松良太 Ryota Hiramatsu 作曲家・ピアニスト
1976年生まれ
千葉県在住

http://www.ryota-hiramatsu.com

Solo Live Tour 「2」
10.17 / at Hasedera (Shinonoi,Nagano)
10.12 / at L’AUTRE MAISON Nishinohora (Tatebayashi,Gunnma)
10.08 / at Space Y (Niigata)
09.26 / at Salone Fontana (Seijou,Tokyo)