<極東>Far East SCULPTURE 植林計画 素材:鳥の羽 自分の指 場所:伊那市富県 所有林
文・写真 / 北澤一伯
3月初旬、所有林の松が倒れ、道を塞いでいるという電話があった。急いで駆けつけると、数本の松の樹が根元で折れ松林全体は廃園のように荒れている。その山林が松食い虫の被害にあっているという事は知っていたが、ここまで深刻な感情を喚起させられるとは考えていなかった。
根は山肌の土のところで折れて、がさがさとした切断面をみせていた。そこからは、暴力的でおぞましい表情の顔面をみているような印象を受ける。アニミズムの猛々しさをともないながら、さらに明らかに私を「悪(あく)」だと言葉を発している。私には、アントニオ・ネグリとマイケル・ハートの共著<帝国>の暴力とはこのような容貌ではないかという感慨とともに、なんともいいがたい焦燥と喪失感を覚えてならなかった。
3・11後、絆という語とともに、連帯が語られたたことはあった。だが、現実は心を何ひとつ変えようとしない綺麗な言葉で己を粉飾する黒幕たちの、資本/政治/経済/金融/報道のメカニズムがあらわになり、彼等の正しさは、むしろ私と世界との関係性をばらばらに引き裂いてしまった。いや実は、3・11以前から彼等の正義の実行により、すでに私はばらばらになっていた。自らの根拠が、まさに根元から転倒する物語が目の前の光景から顕われるのは、分断の物語の発端があるということだった。
そうした分断が、皮肉にも私が美術にかかわろうとする意志にともなっていると承認する時、私はおのれを非正義と規定する不可解な観念を生んだ。それは、資本空間に対峙しつつも、唐突に植林空間をつくろうと企画することが、全く偶然ではないような日常性をも孕むものだった。
北澤一伯 Kazunori KITAZAWA
1949年長野県伊那市生れ 美術家
1971年から作品発表。74年〈台座を失なった後、台座のかわりを、何が、するのか〉彫刻制作。
80年より農村地形と〈場所〉論をテーマにインスタレーション「囲繞地(いにょうち)」制作。
94年以後、廃屋と旧家の内部を「こころの内部」に見立てて美術空間に変える『「丘」をめぐって』連作を現場制作。
その他、彫刻制作の手法と理論による「脱構築」連作。2008年12月、約14年間長野県安曇市穂高にある民家に住みながら、その家の内部を「こころ内部」の動きに従って改修することで、「こころの闇」をトランスフォームする『「丘」をめぐって』連作「残侠の家」の制作を終了した。
韓国、スペイン、ドイツ、スウェ-デン、ポーランド、アメリカ、で開催された展覧会企画に参加。
また、生家で体験した山林の境界や土地の権利をめぐる問題を、「境(さかい)論」として把握し、口伝と物質化を試みて、レコンキスタ(失地奪還/全てを失った場所で、もう一度たいせつなものをとりもどす)プロジェクトを持続しつつ、95年 NIPAF’95に参加したセルジ.ペイ(仏)のパフォーマンスから受けた印象を展開し、03年より「セルジ.ペイ頌歌シリーズ 」を発表している。その他「いばるな物語」連作、戦後の農村行政をモチーフにした「植林空間」がある。
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