レコンキスタ 殺風景

Far East SCULPTURE  美には傷以外の起源はない。ジャン・ジュネ 素材:雪  『アルベルト・ジャコメッティのアトリエ』 ジャン・ジュネ著、鵜飼哲編訳現代企画室  p8

<極東>Far East SCULPTURE  美には傷以外の起源はない。ジャン・ジュネ
素材:雪 
『アルベルト・ジャコメッティのアトリエ』 ジャン・ジュネ著、鵜飼哲編訳現代企画室  p8




文・写真 / 北澤一伯

 『「俺は明日の3時に往く。(渓流の)解禁で大勢の人がくるじゃろが、気の毒に、雨になるじゃろう。じゃが俺は、その大水とともに、海へゆくんじゃ」ーーー長良川の漁師、”萬サ”こと吉田萬吉さんの言葉(予告通りの日時に83歳で死去)死に方のコツ(高柳和江)p38 飛鳥新社』

 ある朝、「はちのへに行く」という声が聞こえて、八戸か、ここから長い旅だな、と思っている夢をみて、目が覚めた。
そして、「はちのへ」は「八戸」だが、「はちのへ」は『端の辺(はしのへ)』という他界ではないのかという考え浮かび、長良川の漁師が雨を予告し、さらに、『その大水とともに、海へ行くんじゃ』と語り、予告通りの日時に死去したという挿話の記憶が、このような夢をみせたのかとも思われた。
 しかし、まだ決定的な姿をとらず、不確定ではあるけれども、目の前に現れた原因も理由も理解できる(死の/テロリズムの/暴力の/国家の)イメージが、ある転倒した思考を私にさせている。終えるべき戦争を終わらせない時代の言葉たち。
 こうした現実を、私は「しずかな敵」という奇妙な観念を持ちながら過ごしていくけれども、この極東の状況から出現する失地の場所を『端の辺』と呼ぶ予感がする。空虚をうめる事はできない。

 

北澤一伯 Kazunori KITAZAWA 美術家
1949年長野県伊那市生れ
1971年から作品発表。74年〈台座を失なった後、台座のかわりを、何が、するのか〉彫刻制作。
80年より農村地形と〈場所〉論をテーマにインスタレーション「囲繞地(いにょうち)」制作。
94年以後、廃屋と旧家の内部を「こころの内部」に見立てて美術空間に変える『「丘」をめぐって』連作を現場制作。
その他、彫刻制作の手法と理論による「脱構築」連作。2008年12月、約14年間長野県安曇市穂高にある民家に住みながら、その家の内部を「こころ内部」の動きに従って改修することで、「こころの闇」をトランスフォームする『「丘」をめぐって』連作「残侠の家」の制作を終了した。
韓国、スペイン、ドイツ、スウェ-デン、ポーランド、アメリカ、で開催された展覧会企画に参加。
また、生家で体験した山林の境界や土地の権利をめぐる問題を、「境(さかい)論」として把握し、口伝と物質化を試みて、
レコンキスタ(失地奪還/全てを失った場所で、もう一度たいせつなものをとりもどす)プロジェクトを持続しつつ、95年 NIPAF’95に参加したセルジ.ペイ(仏)のパフォーマンスから受けた印象を展開し、03年より「セルジ.ペイ頌歌シリーズ 」を発表している。
その他「いばるな物語」連作、戦後の農村行政をモチーフにした「植林空間」がある。