文・写真 / ごとうなみ
2月に入ってもう一度煮た黒豆が、やや余った。休日の午後ベットに寝転がりクックパッドで黒豆レシピを流し読みして、簡単そうな黒豆プリンをクリップ。ちまきもある。このちまきは美味しそうだ。椎茸、凍み豆腐、油揚げ、人参、コーン、黒豆か。コーンは甘すぎるから銀杏にしよう。味付けは醤油と出汁だけか。じゃあ紹興酒を足すかな、中華だし。そうしよう。それから私は、黒豆の煮汁をプリンに豆はちまきにするために起き上がり、身支度をして自転車で隣町まで走った。空は晴れていて風は弱い。自転車に乗っていても2月の突き刺す寒さは感じない暖かな日。材料の半分は家にあったから、買うものはゼラチンと銀杏とちまき用の笹の葉。あと、もち米。そういえばもち米は5合って書いてあったな。けっこうな量出来るかも。そうだ豆好きなお宅に持って行こう。ちまきなら冷凍出来るし、一人暮らしならきっと都合がいい。バレンタイン商戦が繰り広げられるスーパーの入り口を繁々とよそ見しながら歩き、とりあえず最初に買い物をしてしまおうと思い直して、目的の品を籠の中へ入れる。笹の葉は10枚入りをいくつ買うかで迷った。そういえば、私はちまきを初めて作る。ひとつのちまきに笹の葉は一枚でいいのか?2枚要るのか?5合のもち米に全ての材料を混ぜ合わせたら、手のひらサイズのちまきがいったい幾つできるんだろう?途方に暮れかけたが想像の彼岸に立ち、でもまぁ2枚だろうよ?この大きさじゃあ1枚じゃ蓋しずらいもの。そして30個くらいじゃない?足りなきゃまた来ればいい。必要枚数分を取る。そのうちのひとつを取り上げ「笹の葉」と書かれた商品名のとなりに、小さな字で「自然の笹を洗浄し塩に漬け込みました。ちまきや料理の敷物などに」と書かれた説明を読む。春先に勢いよく繁る竹や熊笹を思い出す。グリーン…。「山に居たら買わないよね」と声にせず呟いて、今度は自分で塩漬けにしてみようと思う。急がない人達が立つレジに並びながら入り口のチョコレートコーナーをぼんやり眺める。私のチョコレートは明日届く。可愛いウサギ型のチョコレートが。そういえば確か去年も ここの会社は素敵なデザインだなぁ と見入ったブランドがあった。小箱なのに高価なチョコ。食べた後もきっとこの箱は捨てられないだろう。そのくらいしっかりとした厚手の作りと洗練されたデザインワークだ。でもやっぱり今年も買わなかった。きっともし仮にコレをあげたとしても、女性が喜ぶほど男の人は喜びそうにない。女性向け。そう、自分が欲しいだけ。商品を眺めながらコツコツコツとゆっくりブーツの音を立てたぶん三度ほどこのコーナーを回った。納得して帰ろうとした時、上司の顔が不意に浮かんだ。そうだ、買ってない。よかった、思い出して。思考がニュートラルだとこんな知らせをよこしてくれるから有難い。小さなラッキーに私は小声で神様にありがとうを言う。さっきより陽の暮れた空を再び仰ぎながら、家に帰り明日用にもち米を水に潤かす。黒豆の煮汁をいちど漉し牛乳と生クリームでプリン地を作り、ゼリーで固める。松たか子の四月物語という映画をPCで観ながら、娘の部活帰りとプリンの完成を待つでもなく待つか。大学受験生役の松たか子の儚い演技を、唸りながら観る。雨のシーンで泣いた。淡々と粛々と、まるでいつも見ている家裏の小さい丘を上って降りるだけの優しい起伏の映画だが、思いがけなく気に入った。終わると続けて紹介された時代屋の女房を観る。夏目雅子。猫は温風ヒーターの上で前足を折り畳んで目を細めている。夜になり、娘の食後に黒豆プリンを出す。トッピング用に残しておいた数粒の黒豆を飾ろうとすると「豆はいらないよ」と言う。手が止まった私が娘をちらりと見て「もうしばらくは食卓に出さないから」と薄く笑うと、娘も笑い返した。夜は、私はカーテンを開けて寝る。真っ暗にすると体内の知覚が狂うような違和感があり、いざというとき身動きが取れなくなりそうで怖いからだ。地震などの地殻変動には反射神経を優先させたい。それに月明かりの日は明るいくらいがいい。夜中に猫が布団を出入りするので、その都度少し布団を持ち上げて出入りを手伝う。小学生の時以来猫を飼い続けているから億劫でもなんでもない。むしろ獣の毛に触れながら眠れる幸せを噛みしめている。猫もそれを知っていて構わず夜中でも 入れて と耳元で鳴く。朝はカーテンを開けていても早いわけではない。よっぽど猫よりも焦れったい。片足づつ布団から出ると後は素早いが。半ば家事ロボット。データ入力されたような手つきで弁当を作り始める。( 起きられず作らない日も勿論あるが )弁当と朝食をチャチャっと作ると、娘がそれをチャチャっと食べ、サッサと髪の毛をカールしたりして、支度をして出掛ける。「行ってらっしゃい、気をつけてね」と玄関先で見送りここで私の母としての朝活が終わる。食器を洗って洗濯をセットする。コーヒーを淹れて飲みながらしばらくはボンヤリ。隙を見て猫が鳴きながら膝に乗ってくる。それを撫でながら私は今日一日の仕事を確認するのだ。今日はちまきの日。もち米をザルにあげ、水を切っている間に材料に味付けをする。紹興酒を入れるといい香りが広がる。結局中華鍋に一杯具材が出来上がり、あとはこれを地道に巻いていく。料理用のタコ糸にはだいたい豚の絵が描かれていて「どうして豚の絵ばかりなんだろうね?」とこぼすと「タコ糸使う料理のイメージがチャーシューだからじゃない?」と昨夜 娘が答えた。他のちまきレシピの多くは具材にチャーシューと書かれてあったが、今回作るものには入れなかった。黒豆を主役にしたかったから。チャーシュー入りはいずれまた作るつもりだ、まだもち米も余っているし。YouTubeで笹の葉の包み方を真似てみると、案外上手くいった。互い違いになる時もあるが味に影響なし。構わずどんどん包み続け午前中かかって包みを完了し、蒸し器に入れて蒸しあげた。蒸したては本当にいい香りがする。タコ糸の巻き方が緩いものをひとつ。美味い。笹の葉の開き具合は?ちょっと冷めたら?完全に冷めたら?と、幾つも理由をつけて味見をしてしまった。でもまだまだ沢山ある。最初の一口は少し物足りないくらいの薄味だが、食べ終わる頃にはもう一つ手をのばしたくなる。初めてにしては上出来だ。これなら差し上げても良いだろう。
雪道の運転は急ブレーキと急発進に気をつけて、村で一番遅いくらいの運転速度で走るといい。後続車が来たら素直に道を譲っていれば、焦ってハンドルを握りしめることもなく雪景色を、まるで遊園地のアトラクションに乗っているような心地で眺めながら満喫できる。山に住んでいた時は幾度となくこうして冬の運転を楽しんだものだ。晴れ渡る底冷えの朝、信じられないほど綺麗な青色をした空を讃えたり、2月にしては緩い日に降る大きな耳垢のような灰色の雪が、隙間なく舞い落ちてくる空を見上げて、雪が雪に見えなくなる錯覚を遊んだりした。どんな冬景色も飽きることはなかった。雪山の思い出を抱きながら、助手席にちまきと手土産を乗せてお宅へ向かう。チャイムを鳴らすとその人は、いつも少しよそ行きに私を迎えてくれる。穏やかにやつれた乾燥した笑顔。冬の林が白い窓から見える。僅かな暖の灯る静かな部屋で、わたしたちは互いを見つめて、話した。未来に手を伸ばすのをためらうような素振りの彼は、雪が世界の音を吸収する空白の時間を過ごしている。接触を避ける野生動物が「人間を嗅ぐ」ように、彼は訪れた私を嗅ぎ、自身の人間性と対峙しているようだった。近づけるぎりぎりのところで私は、この野生動物の成り行きを観るしかできない。肌に触れれば緊張を増し、言葉も重石にすぎない。祈りも自分を慰めるだけだろう。今横たわる空白の時間に誰もがただ自分を生きるしかない。窓外の無音はそう語っているように思えた。いずれ春になれば、音はせせらぎに変る。持参したちまきを温めて二三食べた後、残りは冷凍にしてもらって、用意したその他の料理を皿に盛りつけ、二人で美味しく食した。食事は救いだと私は思った。
「日曜日は仕事ないんでしょ」と娘が訊ねる。無いわよと言うと、娘の小さくニヤついた口が頼みごとを言う。「アイシングで絵でも描く?お母さん得意でしょ」。昨年のバレンタイン前日の修羅場を思い出した。菓子作りが好きな彼女の計画は、いつも私の想像をはるかに超えている。友チョコの為に数種類のチョコ菓子を数十個作り、個別包装に仕立てる。本命に一個が王道だろうが と思うこちらの根気は早々に根をあげる。でもあと何年こうして娘と一緒に菓子作りができるかわからないし私も嫌いではないので「今年も手伝いますよ」と微笑しながら暗に応えた。
手渡した私のウサギは、未来を明るく照らすだろうか。
ごとうなみ 美術家
1969年生まれ長野市在住
http://nami-goto.jimdo.com
第4回あの日を忘れないための追悼行事 / 2015年3月11日 13:30 インスタレーション
トポス高地2015 / ごとうなみ展 / 2015年5月1日~5月31日 / 於:アリコ・ルージュ
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