文 / 服部洋介 写真 / みんとも・服部洋介
『THE BODY』「LIGHT CLOTHES 2 feat. MINTOMO& Maria Di Stella」より 2014 人体にプロジェクション・マッピング
かつて芸術は「教育からまだ完全に離脱していなかった」(1)とバタイユは言った。芸術は人々の精神を正し、労働に基礎づけられた社会秩序や道徳を護持するための手段として存在するのではない。今や「芸術は絶対に裁判官の仕事を引き受けることはないのだ」(2)。労働による余剰の膨大な蓄積の結果、「真の芸術作品」として登場した現代アートは、意味と価値、有用性と実用性を破壊し、シミュラクルと化すことで、自らを浪費(蕩尽・消尽)の体系に基礎づけることにある程度まで成功した。生産に還元されることのない濫費、人間を生産の手段としてモノ化する労働的倫理に囚われることのない祝祭的な浪費、すなわち、人間性自体を目的として追求するエロティシズムの領域が、巨大な余剰の到達点として開かれたのだ。だが、いつしかそれは、再び経済的計算の内部へと回収され、アートの無意味性は骨抜きにされてしまった。今やアートは自由な遊びではない。性的エロティシズムのように、何の利得もなく、富とエネルギーを濫費し、日常性を破壊し、個我を解き放つ恍惚ではありえない。それはどこか結婚に似ている。刹那の祝祭の後にやってくるのは、「獲得と拡大の共同体」である家庭生活を維持するための義務、すなわち労働と貯蓄、直接的欲望の断念、パートナーや社会に対する配慮といった限界非効用の諸原因である。アートもまたビジネスである。作品はそれを購入することで国や個人の文化的ステータスの向上に資するものでなくてはならないし、利殖に好適なものでなくてはならない。そういうことをちゃんと考えている新興国の美術館は、アドヴァイザーを雇って指南を受けている。まったくもって労働以外のなにものでもない。ちょっと古いが、そのへんは村上隆の話をよく聞いてほしい(3)。
モノの価値を代替する目的で使用され始めた貨幣は、いつしかモノの等価物であることをやめてシミュラクル化し、腐らないのをよいことに無限の貯蓄に回され、負債を元手とする信用創造によって、今や地球上に実在するモノの総量を超える額の金融資産として膨れ上がった。つい先日、ダボス会議に先立って、オックスファムは「拡大する格差が抑制されなければ、2016年には富裕層上位1%の富は、その他99%の人々の富を上回る」(4)とする報告書を公表した。ピケティならば、資本が富を吸い寄せるというマネーのシミュラクル的性質に鑑み、資本への累進課税の強化を説くだろう(5)。資本主義を生み出したカルヴィニズムも含め、信仰とはそもそも論理空間外の形而上学的対象に対する消尽である。福音書はそれを「尽きることのない富を天に積みなさい」の一言であらわしている。ウェーバー風に言えば、天国に蓄財するはずの世俗内禁欲が、皮肉にも貨幣を介して地上に膨大な余剰を産みだしてしまったのである(今や金持ちの天国はタックス・ヘイヴンである!)。これがモノであれば、必要分を超えれば何をどれだけ生産しても余剰を蓄積することはできなかったであろう。ゴミが増えるばかりである。ところが、腐らない記号であるマネーを使い続けた結果、富の消尽ということ自体が不可能になってしまったのである。富は「永遠」という名のシミュラクルとして得体の知れないところに貯めこまれ、今日見るような偏在を生みだした。世界の不安定化を回避するため、支配階層もようやく対策に乗り出したという次第である。経済的な余剰なくして濫費は不可能である。やりたいことは何一つできない。バタイユが指摘する通り、劣悪な経済状態の下では、労働による抑制がエロティシズムの追求を圧迫し、人間は労働の手段、道具として、モノ的な有用性の限界に閉じ込められる。アートはそもそもそういう有用性に隷属するものではなく、人間を解放するためにある――そこで日本では、村上隆の嫌悪する「芸術=清貧」説が、大衆の支持を得ることになったのだが、一方で、人間自体を目的として志向するエロティシズム的探究は、本来生産に資するエネルギーを、計画的に蕩尽に濫用することであり、金があるほどに豪奢な芸術的創造が可能になるという、ただそれだけのことである。買う側が濫費したければ、何に対して大金を払うかは自由だ。本人がそれで恍惚を感じることができるなら、デュシャンの便器の、それもレプリカを4億円で買おうが、難民支援に使おうが、この際、対象はなんでもよろしい。濫費の対象としての奢侈品は、獲得された瞬間にブランド化し、実用性は問題とはされないからである。実用性から遠ざかるほどに効用は度外視され、その限界はかえって永遠となる。芸術作品、標本、考古的遺物――それらは永遠化された死物である。
エロティシズムの窮極は、自身の求めるところをなにものにも妨げられることなく、欲望そのものを完全に成就することにある。現実には、欲望の対象と欲望の主体は、分離した非連続の関係にある。したがって、性愛、芸術、学術的探究、信仰等の消尽行為において、現実を拘束する偶有的な諸条件が介在する限り、エロティシズムの理想状態は成就されえないであろう。あらゆる対立や不一致、事物の達成を妨げる障碍を完全に取り除くことなどできはしない。したがって、バタイユにおいても、エロティシズムの本質に係る議論は、現前することのない形而上学として展開されざるを得なかった。それは、主体と対象の解体、一つの消滅状態、すなわち「死」として求められたのである。現実においてそれは、日常性を維持するもろもろの規範からの逸脱、労働の破壊、有用性のなさ、無意味、価値の喪失、あらゆる失墜として体験される。それは端的に裸体に象徴される。バタイユは言う。「決定的な行動は裸にすることである。裸体は、閉ざされた状態、つまり非連続な生存の状態に反しているのだ。(…)裸にするということは、それは十全な意味をもつ文明の見地から眺めるならば、殺人の代用物とは言わぬまでも、少なくとも危険性の少ない殺人の等価物なのである」(6)。裸体化とは、日常性を捨て、愛のうちに世界との非連続性を解消する特殊な恍惚状態であるとともに、個体が自らの個別性を喪失する「小さな死」の体験でもある。これは、神を対象として求める神秘主義の領域でも同様である。とりわけ、神を措定することなく宗教的恍惚へと到達する東洋思想においてより明確となる。その時、世界は日常性を喪失し、およそ現実の束縛は忘れ去られ、一文の得にもならない精神の昂りを求め、膨大なエネルギーが投じられる。そして、人々はその途轍もない破滅のイメージに魂を満たされ、また日常へと戻ってゆくのである。東京ドームで「破滅に向かって」YOSHIKIとヘッドバンギングして病院送りになるなど、まさにその典型である。
さて、対象が現実の諸条件から解放され、真に欲望の対象となるには、対象の主体性、すなわち自由な振る舞いというものは忘却されなければならない。そして、自己もまた現実の規定を喪失し、欲望自体とならなくてはならないだろう。そこで、バタイユにおいては、自己と他者の「否定」ということが論理的帰結として導き出される。「本来、欲望が自分に与えてくれる形象を構成するには、ある存在が一個の物のように眺められることが必要である。(…)エロティシズムを特徴づけるのは、生きた動くものではなく、死んだ不動のものである。後者だけが通常の世界から引き離されている。この切り離され固定化された様態こそ、われわれが生きた動くものを導いて行きたいと思う終着点である。(…)この引き離されたものは、物(オブジェ)としてあるいは融合としてしか存在しない」(7)。すなわち、現実の動態を喪失したところの対象=モノこそが、ありのままの欲望をそのままに受け止める器として求められるのである。そして、欲望の主体である自身もまた現実性を失うことにより、もはや何の役にも立たないモノと化すのである。それは事物を有用性の基準から秩序立てることのできない、主客未分化の〈総体〉へと、非連続の個体を参入させるのである。バタイユは自らの神秘的な〈内的体験〉をキリスト教神秘主義、禅、ヨガと比較して論じているが、意識の内部の話であり、私もまたそれを主観的に語ることしかできない。自己と他者、あるいは宇宙の境界が喪失する体験は、それが死と捉えられる限りはホラーである。例えば『タルムード』の説話では、神の「庭」(パルデス)に到達した四人の神秘家のうち、ラビ・アキヴァ以外の一人は死に、二人は精神錯乱に陥った。至福なる〈生ける神〉の体験が、死と近接していることを示すエピソードである。それが時に恋愛神秘主義の形をとること、性愛の比喩によって描写されることは注意されてよいだろう。西洋の霊的伝統では、神への畏怖と愛の止揚は、終局的には魂の裸体化において実現されるのだ。そこにあるのは、現実性の崩壊した「死物=モノ」の世界である。それが非連続性の解消、すなわち連続性の獲得、融合として読み直された瞬間、主客を隔てる自我意識境界は押し流され、世界は荒々しい幸福に包まれる。こうした分野の臨床については、今や精神医学の主流から転落した力動精神医学の領域に豊富な研究が残されている。もともと日本では、精神分析は非本流の地位に留め置かれてきた。戦後、東大医学部の内村祐之が米国流の精神分析が蔓延することを警戒し、対抗軸としてヤスパースを持ち出したのがことの発端で、第一、東大の精神神経科は生物系、心理学科も実験系を標榜し、精神分析は保健学科の土居健郎くらいだった。教え子から精神分析医になったのは一人だけ(8)。しかし、家裁調査官研修所に出講していたこともあり、家裁調査官で精神分析学会の会員という人は存外多いのである。学生時代、ある友人(後に画家となった)の病跡学的考察をまとめた時にお世話になった女子美の村山久美子教授(芸術心理学)も「私の若い頃は、フロイトもユングも一切教わらなかった」と嘆じておられたが、無理もないことである。いずれにせよ、内的体験の心理臨床的所見については次稿に譲ろう。
さて、字義通りの「死物=モノ」を扱う人たちの中に、虫屋と呼ばれる昆虫愛好家たちがいる。研究者から蒐集家、標本商まで、虫に興味がない人たちからすると、マニアもマニア、昆虫採集に至っては、動物愛護の見地からは「野蛮な遊び」といわれ、他ならぬ虫屋自身から「この世に昆虫採集よりも悪趣味な趣味があるのですか?」と聞かれたことさえある。作物学を修めたのち、昆虫研究をライフワークとするアーティスト・みんともは、かつて、戸外で見つけたクロメンガタスズメの幼虫を家に持ち帰り、死なせてしまった経緯について、次のように書いている。「自然環境下が良いにも関わらず、あまりにも可愛くて家に持ち帰ってしまいました。変態時の大事な時にこんなことをしてしまったのです。殺虫行為ですね」「死んでしまった昆虫を見ると自身も落ち込みますが、必ず、観察はします。どんなに苦しかったかと思うと、このような事はやめようと一旦考えるのですが、絵を描いたり、じっくり観察するには部屋で飼育するほかなく、上手くできなければ命を奪ってしまうのです。欲深く、切ないですね。最近は散歩して死骸を頂くことにしています」(9)。だが、マニアなコレクターは死んだ虫を拾ってきたりなどしない。「完璧な形のものを求めるから、購入したり、育てたり。一番完璧な標本を作りたければ、飼育して殺せばいい」(10)。対象の動態を奪い、配慮無用のモノとして扱うこと――しかも、その行為に生産的意味は一つもない。偶有的な諸条件を排除し、対象をかくあるべき姿に確定すること、それが「展翅」である。当初、みんともは言っていた。「こちらの都合ばかりで殺生はしたくありませんね。(…)自発的に虫さんたちを殺すことは出来ません。(…)昆虫は立派だと思います。昆虫のように懸命に生きてみたいです」(11)。ところが、「より深く知りたい」という欲望は、ついに自発的な残虐行為へと彼女を駆り立てる。「慣れないですね、何回やっても」と彼女は言う。「(チョウは胸部を)圧迫して大人しくさせて、冷凍庫か、または毒ですね。私は冷凍庫で殺します。凍死ですね。(…)シンジュサンというガがいるんですけれど、あんまりに美しかったので、ガソリンスタンドにいたのを捕まえちゃいました。(…)ガはチョウと筋肉のつき方が違うし、胴も太いわけですね。胸部圧迫法だけじゃ大人しくならないので、ガは毒ビンの中で殺すのが、虫屋さんの中では一般的なんです」(12)。殺された虫たちは展翅され、標本となり、永遠に美化される――磔刑のキリスト像のように。ハーストは言った。「永遠に生きていたいという欲求。つまりは、それがアートのすべてだ」(13)。
『THE BODY』「LIGHT CLOTHES feat. Maria Di Stella」より 2014
虫や動物は、もとよりモノだと考える人がいる。だが、人間は違う。人間をモノに還元すること、すなわち裸体化する欲望は、禁止のゆえに激しい抵抗を惹き起こす。そこで芸術や学術は、有用性を口実に裸体を正当化しようとするのである。だが、実際それは異様なことなのだ。ある県展作家は、女性を衆人環視の中で裸にするクロッキー会の違和感を私に訴えた。みんとももまた人体の「展翅」――人を虫のようにモノとして観察し、作品(標本)とすること――に、極端な不安を表明する。「やっぱそこはいけないんじゃないかっていう、どっかの片隅にはあるんでしょうね、だから、怖いっていうか、いろんな感情が混ざって、そこはやってはいけない、だけど、本当にすごくやりたい、だけど、そこはちょっとやっぱり、やっちゃいけないんじゃないかって思って……いる」(14)。「描きたくないんじゃなくて、描きたいんだけど、描いちゃいけないっていう、なぜかそういう気持ちが生まれてしまうんですよね。どこから来ているのかは、ちょっとわからない。でも、描きたくない……。描いてるうちに、たとえば、対象の方のことを好きになってしまったりとか、(…)そういうことを怖れているというか……そうかも知れないですね。異性じゃなくても、同性に対しても……わかんないですけど、きっと、美しいなあと思って……(…)たとえば、何枚も描いて、描く人ごとに何枚も好きになってしまったら(…)恐ろしいことになってしまいますよね」(15)。虫を愛するように、人を愛してはならない――みんともは言う。なぜなら、愛の対象は、遠からず「展翅」の運命を辿るからにほかならない。何枚も――と言うように、彼女の中では、いずれ対象の個別性は捨象される。この無記名性へと開かれた愛の可能性を、彼女は恐れているのだ。
Maria Di Stellaと共同で制作された『THE BODY』「LIGHT CLOTHES 2」(2014)において、Mariaの裸体に接したみんともは、「初めてこんなに人間を美しいと感じました」(16)と語っている。「完全にモノとして見てます。美しいオブジェですね。でも、さっきはちょっと危なかった。裸の後ろ姿を見ていた時、抱きつきたくなる衝動にとらわれました。でも大丈夫です。がんばって抑えてますから。抑えないといけないことになっちゃうから」(17)。ここでみんともは、図らずも人をモノ化することで初めて裸体を受容することが可能となるというエロティシズムの原則について告白している。生のヒトは、単なる欲望の対象としての静的なオブジェではない。それは彼女と同等の権利を有し、彼女と対立し、何事かを要求する動的な主体なのだ。「自分が展翅されるのは、この先もずっと私には無理だと思います」(18)と、みんともは言う。抱きつきたい、愛したいという赤裸々な欲望において、彼女は誰かを愛することはできない。自らをモノに還元すること――日常を逸脱し、見慣れた自身の姿を破壊すること――は、同時に誰かの欲望の対象として自己を死物化することにほかならないからだ。ゆえに、彼女が愛する時、それは配慮――浪費ではなく、労働と有用性、意味――において愛するのである。抑圧されたエロティシズムは、アートという何か高尚で、理解可能な枠組み、口実と引き換えにされ、そこでようやく「供犠」の形式が整えられる。それは、残虐さを残虐さとして自覚することのないエロティシズムの探究としての供犠ではない。社会的配慮に基づく「労働としての供犠」なのである。
バタイユは言う。「残虐な芸術は、われわれに恍惚のなかで死ぬように勧めてはいないけれども、しかし少なくともわれわれの幸福な瞬間を死と同列に置く力は持っているのである」(19)。バタイユにおいて、供犠と労働が結びつくことはない。芸術体験に内包される恍惚の情動は「何かしら有益な作業に従属することができない」からである(20)。労働と供犠の奇妙な複合体――それは、利害のために計算し尽くされた近代の戦争における残虐さ、いわば殺戮の様相を呈するのである。まさにそれは、純粋な知的好奇心を満たそうとする黎明期における科学ではなく、有用である限りにおいて探求される現代科学のシステムに見る特異な残虐さである。みんともにおける残虐さは、エロティシズムに基礎づけられるのではない。それが労働に基礎づけられた時、その残虐さはいや増すのである。
『THE BODY』「LIGHT CLOTHES feat. Maria Di Stella」より 2014
(*1)(*2) (*19) (*20) 『純然たる幸福』所収「芸術、残虐の実践としての」(1949)Georges A. M. V. Bataille〔著〕,酒井健〔訳〕,人文書院,1994,p.61-62,61,73,72
(*3)『芸術闘争論』村上隆〔著〕,株式会社幻冬舎,2010,p.45-46
(*4) http://oxfam.jp/whatwedo/cat13/cat2/20161.html(web)
(*5)それは端的に、r(資本収益率)>g(所得成長率)の不等式によって示される。なお、ピケティは戦争を相続資産の強制ポトラッチと見、バタイユは巨大な労働が生み出す余剰が戦争という破局的消尽を惹き起こすとして、その回避のため余剰の強制的な平準化を説いた。草間彌生は「戦争はセックスを抑圧する道徳や階級が生み出したヒエラルキーの産物」「セックスの抑圧は人間の本当の姿を押し曲げ、戦争に駆り立てる」という。バタイユは「エロティシズム的な戯れにエネルギーを費やせば戦争の危険が減少する」との説は「まったく幼稚な言い草でしかない」とする。
(*6)『澁澤龍彦翻訳全集13』所収「エロティシズム」G. Bataille〔著〕,澁澤龍彦〔訳〕,株式会社河出書房新社,1997,p.28
(*7) 『エロティシズムの歴史 呪われた部分――普遍経済論の試み:第二巻』G. Bataille〔著〕,湯浅博雄・中地義和〔訳〕,哲学書房,1987,p.196-197
(*8) 『東京大学精神医学教室120年』東京大学精神医学教室120年編集委員会〔編〕,株式会社新興医学出版社,2007,p.158-160
(*9)2013年3月24日付メール
(*10)(*12) 2014年11月13日。筆者との対話。
(*11) 2013年5月10日付メール
(*13) 『現代アーティスト事典』川出絵里,高橋美和,押金純士,隈千夏〔編〕,株式会社美術出版社,2012,p.29
(*14) (*15)2013年6月7日、筆者との対話。
(*16) 2014年12月23日付メール
(*17) (*18)2014年12月14日、筆者との対話。
服部 洋介 Yosuke Hattori
1976年、愛知県に生まれ。
長野市民。
yhattori@helen.ocn.ne.jp
http://www.facebook.com/yousuke.hattori.14
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