お父さんのエレベーター、私のエレベーター

kimuranatsue11

文・写真 / 青野まつり

◆1階
私とお母さんは、お父さんのエレベーターに乗ってここまで来た。覚えているのはここからだから、ここが1階でいいよね。
わたしのお父さんは、エリートお父さん。
毎朝ビシっとしたスーツで出発。大きな会社で「ぶちょう」をやっている(よくわからない)。
お父さんは、わたしが言うことを聞かないと大声で怒鳴る。その時のお父さんは、おとぎ話の鬼よりももっと怖い。
(前にお母さんの車の運転にお父さんが怒鳴った。その後、ショッピングモールでわたしはお母さんに「車のカギ、お父さんに渡してきて」と言われ、お父さんとわたしたちは別々に帰った)
でも実は、お父さんのいない外ではわたし、手下を引きつれた「悪い子供」で有名なのだ。イタズラ、最高。
◆いきなり最上階へ
エレベーターが、家賃の一番高いオーシャンビューの最上階で止まった。
お父さんの「転勤」で、わたしたちは外国に引っ越すことになった。
私はイトコや親友のユカちゃんと離れるのが悲しくて、あっちの空港に着いても「日本に帰るうぅ!(外国人がいるうぅ!)」と泣きわめいた。
でも、その後私を待っていたのは、見たこともない大きなお城のような家だった!
部屋が12個に、トイレとお風呂もいっぱい! 3人でどうやって全部のお部屋を使うんだろう??
そしてはじめての「転校」。私はなぜかその日から学校でだけ、「一言もしゃべらない子」になった。
廊下で男の子たちが私を見て「無口(あだ名)!」「暗いやつ!」と呼ぶ。前の私はあんなに手下たちを引き連れて遊び回ってたのに、一体どうしたんだろう?誰にも声をかけることができない。
私の中身が<逆さま>になってしまった。
でも親はそんなことは知らず、週末に家族で過ごす時間は、夢とお金に満ちあふれていた。
毎月の旅行に豪華なホテル。私たちを乗せたエレベーターが、ぐんぐん上がる!
フランス、ドイツ……食器棚には、各地の高そうな食器がどんどん増えていった。
そして驚くべきことに私は、あんなに怖かったお父さんと<二人で>アスレチックに乗ってはしゃいだり、卓球で勝負するようになっていた。
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◆徐々に地下へ
お父さんが会社をやめて、日本に帰ることになった。やった!また皆に会える!
でも連れて行かれたのは、前とは違う町……2度目の「転校」だ。
そしてやっぱり、外国と同じように、私のあだ名は同じものになった。
◆地下5階
××回目の転校。
今度は田舎に「マイホーム」が建ったのだ。
中学校で、私はいつの間にか「いじめられる側」に入っていた。
父は私を「根性が無い」「お前はまだ恵まれてる」と評した。父に対する怒りがふつふつと込み上げてくる。
父と私の間にだけ、黒い墨汁がポトポトと垂れて、やがて雨のように勢いを増し、水たまりになっていく。
一刻も早くここを出て、都会へ出ることを切望するようになった。
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◆地下10階
志望していた街の高校に合格した。
マンガのようなお洒落な高校生ライフを夢見て必死に勉強し、学区外5%枠で合格した。もう私をいじめるやつもいない!街にはパルコもある!
でも都会でも私は「暗い子」のままだった。「暗くないグループ」には入っていたけれど、上手くつきあえず、段々置き去りにされていった。
……今度は<転校>じゃないのに、どうして?
地下から上を見て<一番最初の私>が何階にいるのか探すけれど、深すぎて、何も見えない。
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◆地下20階
父が会社をケンカやトラブルで辞める、というのが続く。ローンが払えない。母も働くことになった(私の通学代は1日2000円もした)。
更に私が神経病になったことが父を苛立たせ、家の中は今にも感電爆発しそうなピリピリと、むせかえるような黒い墨の蒸気に満ちていった。
何の理由もなく父が怒鳴る日が続く。私が部屋から出なくなる。
「人は疑ってかかれ。この世はろくなやつがいないんだ」。父の口癖。
私と母は、父のエレベーターから片足をおろした。
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◆地下50階
もう毎日「お父さん今日も機嫌悪いのかな」で頭がいっぱいだ。そして通学による睡眠不足。もう、疲れた。
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◆久しぶりに地上へ
大学に合格し、この家を出られることになった!あふれ出す解放感。
そこにはおじいちゃんとおばあちゃんがいて、週末はいつも豪華な鍋を囲んで「家族団らん」した。おじいちゃんとはよく美術館や食事に行き、東京の靖国神社参拝にも付いて行った。
「あんたら、ほんま仲良しやなぁ」が親戚たちの口癖だ。
……おじいちゃんがお父さんだったら良かったのに。
私は完全に父のエレベーターからおりて、自分のエレベーターに乗っていた。
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◆乗り換えて50階
毎週新幹線で東京に通った過酷な就職活動が実を結び、ずっと夢見ていた、憧れの東京ライフが始まった!
父も、自分のように娘が東京で活躍することに期待していた。
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◆地下へ
かつての父のように、今度は私が会社を辞めるのを繰り返すようになる。私のエレベーターが、ワイヤーが切れたように下降していく。
誕生日2日前にして3つめの会社にリストラ宣告をされた時、私はデスクで呆然としていた。そこへ「父さんが病気になった。手術も無理」という電話が入った。
(こういう時に限って「余命××ヶ月の花嫁」なんてタイトルが流行るのだ)
おかしい。父さんをあんなに嫌っていたのに、何故かひどく動揺し涙が出て、毎日神様に父さんのことを祈った。
その日から、私と母は、再び父のエレベーターに集まりだした。
>>>>>>上昇下降上昇乗り換え上昇下降……<<<<<<
5年後、臓器の一部を失ったが父の癌は完治した。奇跡だった。
その後私が父が一番嫌う神経系の病気で入院した時、なぜか父は私を否定しなかった。それどころか、父には「ありえない」言葉のメールが届いた。
「希望を捨てず、前向きに生きて下さい。人生、捨てたものではありません」。
先日、両親が20年ぶりに東京に来た。
自分の母校の大学の門前で、父さんが嬉しそうに写真をせがむ。「門の下が良いな!」
ボロボロの喫茶店で、コーヒーを飲んで笑う。「美味いな!」
私の狭い部屋に入って笑う。「狭いな!」
私たちは今、別々のエレベーターにいる。母と父のエレベーターは今、上昇中らしい。私のエレベーターは、まだ地下だと思う。
でも、あっちのエレベーターが上がるほど、私のエレベーターもたぶん上がっていく。連動式になったらしい。
おわり。

青野まつり Matsuri Aono
1984年生まれ
クリエイター