女性性あるいは中年についての考察7 「とりあえず一旦棚卸ししてみよう、元カレを」

文 / 松下幸

 シンガポールに住むようになってから2年が過ぎた。
 先日は来星以来3度目のナショナルデーを迎え、建国を祝う空軍ショーや花火を今年も味わうつもりだったけども直前でどうでもよくなって寝て過ごしてしまった。3度目ともなると、お祭りを楽しみたい気持ちより人混みで戦闘機がやってくるのを延々待つ辛さのほうが勝ってくるのだ。
 そういう「この国への慣れ」と関係があるのか知らないが、近所を歩いていると人々が北京語で話しかけてくるようになった。
「○☓△@*?>%%」
「え?」
「○☓△@*?>%%!(さっきより大きな声で)」
「あの、マンダリンわからないんですが」
すると一瞬間があって、やっと英語になった相手が
「シンガポーリアンじゃないの!?」と目を剥く。
 何人?日本人?アイヨー全然見えない!あなたマンダリン勉強するといいよ、今より何でも安く買えるよ、いやー絶対チャイニーズだと思ったのに……もうこのやりとりにもすっかり慣れた。私はたった2年でローカルと間違えられる風貌になってしまったということだ。
 チャイニーズと間違われるのは、日本人的にはかなり痛い。コリアンも痛いけどチャイニーズはもっと痛い。アジア人蔑視と言われようが嫌なものは嫌だ。少なくともこの国にいる邦人でローカルと間違えられて喜ぶ人はいない。だってこちらの女性といったらブラックのセミフォーマルドレスにビーサン&濡れ髪で出勤するような人たちだ。
 タクシーに乗って「日本人会へ」と言ってるのに「働いてるの?」と聞かれる。タクシーでおじさんのシングリッシュがキツすぎて何を言ってるか分からずにいたら「あんたチャイニーズのくせに、英語話せないなら最初っからマンダリンで話せ!」と怒られる。近所のおばさんには「あなたの顔はチャイニーズの顔。日本人じゃない」と何度も何度も言われる。
 しかし何故そう思うのか?チャイニーズシンガポーリアンの女性たちには「面長、長身、手足がすらりと長く、しかし目が小さめで鼻が低く出っ歯気味。後ろから見ると美人だけど振り向くとブス」という残念な特徴がある。私はシンガポールにいると低身長のほうだし、顔が丸くて具が濃い。後ろ姿は前よりひどいし、肌もすっかり焼けて浅黒い。もっと本気の東南アジア人と間違われるならまだしもチャイニーズと言われるのは素で解せない。
 彼らに理由を聞いてみると「背が高いから」などと言う。「高くないじゃん」と返すと急にゴニョゴニョとなって、日焼けしてるから?と聞くと「そう!」と。しかしシンガポーリアンの女性は日焼けを嫌うので色白なのだ。だけど服は袖なしにミニスカートもしくは短パンと露出が多く、こちらは大抵長袖長ズボンなので全然違う。日本人以外はほとんど着ないボーダーシャツもよく着る。なんならでかいサングラスで顔が隠れていることもある。なのに「肌がやけてるからチャイニーズかと思った」と言われるのだ。自分のチャイニーズ臭が恐ろしくなるレベルである。
 しかし最近本当の理由が思い当たるようになってきた。日本には基本日本人しかいないから「顔の日本人らしさ」なんてあってないようなものだが、シンガポールにはアジアのほぼ全ての国民が揃っている。日本にいるよりはるかに、アジア人の顔の微妙な違いが際立って見える。多分シンガポーリアンは、アジア人を見るとき無意識に「国籍あてゲーム」をしているのだと思われる。
 こちらにいる日本人女性は基本駐在さんの奥様連中ばかりで、他のどの国の人よりも分かりやすい特徴がある。服はVERY系、顔も肩も細く、美白につとめ髪を染めてちゃんとメイクもしている「おしゃれ」な方々だ。誰が見ても「あれは日本人」と言い当てられる。私は残念ながら、その枠からは大きく外れている。言うなら「なんだかよく分からない雰囲気の東アジア人」だ。とイギリス人の知り合いにすら言われた。シンガポーリアンにとっては、日本で「この集団は中国人だな」とかはっきり分かる人以外は皆日本人に見えるように、私も「定形外」という理由でシンガポーリアンだと判定されているに違いない。というのを結論とすることにした。無難な落とし所だ。
なので最近は挨拶ぐらいだったらニーハオで返す。シンガポーリアンかと思ったという言葉は褒め言葉としてありがたく頂いている。なにせ二ヶ国語を操る本物のコスモポリタンだ。光栄ではないか。この間ベトナムでもシンガポーリアンと間違われたけど、いい方に受け止めようと努力している。

 すっかり見た目がポリアン化している私の頭のなかはというと、最近降って湧いたような色欲で一杯である。昨日見たアメリカのドラマで、80才を超えたおばあちゃんがある日突然色気づいちゃって、目につく若い男性すべてに恋するようになり、検査したら若い頃に罹った梅毒が復活して前頭葉が破壊されていたという話を見たのだが、私もやんちゃしちゃってた頃に拾った致死的な菌に脳を壊されはじめたのかもしれない。
 きっかけはドラマだった。ある韓国人俳優(韓流スターではなく、ただのおっさん俳優)が過去に出演した韓国ドラマを漁っていたら、ちょうど10年前に大ファンだった映画俳優が主役の作品を発見したのだ。韓国映画にハマりはじめた当初、好きだったある監督の作品に常連として出ていた地味な映画俳優が彼だった。助演クラスだったのだが大変演技がうまいので主演クラスにまで人気が出て、でもルックスが主演の器じゃないので映画があたらずあっという間に出演作が日本に入ってこなくなった。短いブームだった。私もあっという間に他の俳優へと心変わりしていたのだが、ちょうど誰も「彼氏(好きな俳優)」がいなかった私の前に、忘れていたあの彼が5年ぶりに姿を現したのである。かなり老けていたが、老け果てている私にとっては好材料だ。そしてずば抜けた演技力は健在だった。演技のうまい俳優ほど光り輝くものはない。
 「元カレ」への恋心が再燃するのは時間の問題だった。あとは寝ても覚めてもその彼のことばかり考える毎日。ほどなく日常生活にも支障をきたすレベルにまでなった。梅毒で脳を破壊されたおばあちゃんも、間違えて借りた映画に出ていたアシュトン・カッチャーに色ボケしたのがことの始まりだった。脳がおぼつかなくなってきた女にとって、いい男が出てくるドラマは甘美な猛毒だ。
 私の恋心は誰にも理解されないレベルにまで膨らんでいった。相手はドラマがヒットしたとはいえ、イケメン韓流スターとは程遠い地味男君である。年も私と2才しか違わない中年だ。他のスターよりもぐっと難易度が低い。私の見た目はシンガポーリアン化してるもののギリ、ギリギリのギリで若く(42才が39才ぐらいに)見えるらしい。でも相手は40才なので全然クリアだ。このたるんだ体さえ何とかなれば、もしかしたら、もしかすると……何が?なんて聞かないでくださいよ。人生何が起こるかは誰にも分からないでしょう。希望を捨てなかった者だけに希望の未来が開けるのですよ!
 インタビューで知ったところによると、彼は「美人すぎない、ミディアムヘアの、パンツの似合う、仕事をしてる女性が好き」だという。過去一度だけ熱愛報道の出た相手は非整形「ブス女優」として有名な演技派女優だ。偶然にも私は美人じゃないし、一年のうち360日はジーンズだし、髪も中途半端な長さだし、形ばかりですが仕事もしている。条件オールクリア。これはもう、やばいでしょ。好みのタイプはシンガポール在住の君って名指しされちゃってる。それで!それで今まで彼には浮いた話もろくに出てなかったのか!
 またタチの悪いことに、私はその俳優までつてを辿れないこともないのである。たった1人だけいる韓国人の知り合いの「お兄さん」がけっこう有名な映画監督で、友だちに頼まれて俳優に会わせてあげたりもするそうで……もしかしたら、もしかすると、まだ拾っていない運命の赤い糸が、半島方面に向けて伸びているのかも?まじで??その時は娘、ごめん。母さんおまえと離れて暮らすことになっても、一生お前を愛しているからね!!
 そんなわけで最後の恋に向かって一念発起、「トータルワークアウトの三週間ダイエット」を始めた。糖質と脂質を限界まで制限しつつ筋トレを行うダイエットで、もう、死の苦しみだった。腐った性根を一度叩き殺して真人間に生まれ変わらせるタイプの本当に辛いダイエットで、しかし私はやりとげた。そして本の言う通り、たった3週間で驚くほど体が変わった。2キロほどしか体重は落ちていないが、ウエスト、太もも、背中がすっきりして、長年着られなかったノースリーブにすら手を伸ばせるくらいには若返った。同時に「まつげ美容液」も塗り始めた。これも三週間ダイエットが終わる頃には、自分にしか分からない程度ながら結果が出た。とどめは小顔ボトックスだ。韓国人には必須というえらボトックスで小顔効果を狙う。両顎の輪郭に沿った筋肉に計10箇所、注射針が容赦なく「ぶすーっ」と刺さる。生まれて初めて体験するその痛みは、僅かに残った自制心を粉々にされる、変な声が出そうなものだった。これも三週間ダイエットが終わる頃には効果が出始め、えらというか頬が見たこともないくらい痩けて病人みたいな顔になったもののまあ、ドンマイ。さあこれで準備は万全、いつでも脱げるぞ韓国人カモン!
 となるところでしたが、ドラマがね、彼の次のドラマが大コケしまして。今世紀で2番めの低視聴率という記録的偉業を達成しまして、拝見したところ彼の仕事は相変わらずよかったけど話が。しょぼい。すると彼に対する心の勃起があっという間に萎れてしまうというか。仕事で輝く地味男が好きなのに、仕事が失敗しちゃあ、どうも。
 そこで困ったのはこの体だ。どうするんだと。せっかく努力したのに、どの方面に向けて威力を発揮していいのか分からない。私は誰かに見せたいのである。脱ぎたい。いや脱がなくてもいい、褒められたい。きれいだねーとか言われたい。久しく聞いてない褒め言葉を並べられて、お互い見つめ合ってポーッととかしたい。
 
悶々とする気持ちを持て余していたところに、私の友人のなかで最もダメな同い年の女からしょうもないLINEが大量に送られてくるようになった。曰く
「32才の男子から言い寄られて困っている。イケメンじゃないけど背が高い」
「結婚を約束してる39才の彼女さんがいるって。でもすごく優しい」
「断りきれず、昨日の夜、デートしちゃった」
「お互いに求め合うって感じでついキスしちゃった」
「さっき給湯室にいたら急に入ってきて、ちゅってされた」
「ホテルに誘われてるけど、絶対それは無理」
「私にこれ以上夢中になられたら困るから」
「私にも彼氏がいるし、彼との関係は遊びだって割り切ってるし」
「でも本気になっちゃうかも」
普通これらの文言を読めば、39才と42才を二股にかける32才なんて、随分老け専のゲス野郎だな、としか思えない。しかし老け専という言葉はいくら相手が親友であっても言いづらい。とはいえその関係は限りなく見苦しい。不惑の女が決して落ちてはいけない肥溜めに嵌っているんだけど見苦しすぎて指摘できない。けど32才に誘われるというのは私の人生にはもう二度と起こらないことで、彼女は見た目は年なりだけどすごく色気があって、やっぱり男を求める必要がある女は外に出てくるものが全然ちがうようなあ、藤田紀子だって二子山親方を捨てる辺りからは得体のしれない色気が半端ないもんなあ、そういうのの使い道がわんさかあって、いいなあ…なんて思ってる間にもLINEの着信音がバンバン鳴る。鳴り続ける。昼も夜も。ある時イライラが爆発しそうになって、しかし喧嘩はしたくないのでかろうじて「いいねえ、その年でいろんな男性に言い寄られて、何か危ないフェロモンでも出てるのかねえ」なんてギリギリの嫌味を言ったところ、
「コウちゃんだってまだかわいいよ。出るとこに出ればすごくモテるって」
出た。出たよー「出るところに出れば」。「まだかわいい」。出るとこってどこよ、私は限界まで出尽くしてるよ。何その上から目線、老け専に二股掛けられていい女気取ってんじゃねーぞ!と、嫉妬と苛立ちがごちゃ混ぜになった致命的な罵りを親友にぶつけてしまいそうになったので、罵るかわりに既読無視の刑に処してしばし放置することにした。

 そんなしょぼすぎる軋轢を友人との間に抱えている時、別の友人から「FBで元カレと再会した」という話が舞い込んできた。なんかこう、気づいたら共通の友人でつながっていて、どちらからともなくメッセージを送りあうようになり、今度2人で会うことになったんだよねーとかなんとか。 
 これか。これが噂の。やっぱこれよね!と膝を打った。
 思い返せば、既婚女性の恋愛といったら「同窓会」で再会した「同級生」だ。書道の講師としてカルチャーセンターで教えていたら雑誌編集者と恋に落ちて喪服のまま、という線も捨てきれないけど今から書道の師範になっている時間はないし、近所の旦那さんという設定もよく見るがうちの隣の旦那さんはかなりの変人で、その隣はサンタぐらい大きい初老のアメリカ人なのでなし。左隣のシンガポーリアンの旦那さんは、いつもステテコ一枚で非常階段に座ってたばこを吸っていらっしゃる。なし。あとは夫の同僚の線だが上司も部下も同僚も太めのインド人ばかりなのでちょっと無理だ。名前を覚えるのも難しい。というか、この年になるとまず新しい男は無理だよね、と、聞ける友だちにざっと聞いてみたところ大多数がそう言った。特に若い男は絶対無理だと。もともと繋がりのあった男性を引っ張りだして来る以外に相手を見つける術はないと。となるとやっぱり、学校が同じだった元カレというのが一番繋がりやすい。その点私のダメな友だちはすごい。彼女はすごいファイターだ。ただ会社に転勤してきた若いのにあっという間に食われちまうなんて。私のような腰抜けには、仮に万が一誘われたとしても尻尾が巻けちゃって何もできない。
 そこで物は試し、FBで思いつく名前を検索してみたのである。さすが21世紀になって15年近くも経つとすごい。同窓会と同じ役目をFBなどのSNSが今ココというタイミングで果たしてくれるのだ。便利になったもんです。そして、女も年をとると恥も外聞もないというか、ほんとなんでもできるようになってしまうんですね。30代なら浅ましくて絶対できなかったと思うのだけど、何の抵抗もなくするするっと出来てしまった。といっても、会ってもいいなと思う元カレは2人しかいなかった。1人は高校の同級生で、もう1人は大学時代の友人。そして、ものの数分で2人とも見つけてしまった。生き馬の目を抜く勢いだ。
SNSというのは、恐ろしいところですよお父さん。(Part2へつづく)

松下幸 Koh Matsushita
1972年生まれ
福岡県福岡市出身 / シンガポール在住
コピーライターのようなもの
大学中退➝フリーター➝主婦➝フリーター➝会社員➝フリーランス