文・画像 / 松田朕佳
魚を釣りに行こうよ、といって出かけた。まだ薄明かりが残る空にオレンジ色に大きく膨れ上がった、二十夜頃の月が浮かんでいた。ふかふかとした分厚い苔に足を沈ませながらゆっくりと歩く。緑色の足跡を残して森をぬけると湖に出た。私たち以外に人はいないようだった。土の上に蛍光に光る土蛍。一カ所に留まり消化をしているのか、ただ体をぐねぐね動かしている。岸につないであったボートを借りることにした。岸辺の小屋で釣り竿も二本見つけた。「子供の頃、叔父に釣りを教えてもらったときにね、バケツの中で釣った魚が苦しそうにもがいているのを見ていて、気がついたら泣きながら棒で魚たちの頭を叩き潰してたんだ」そう言って竿を持っていないサラは短い木の棒を拾い上げボートに乗り込んだ。風もなく静まり返っている湖面をゆっくりと進む。太陽はまだ西の地形線の少し下にいるようで姿は隠れていても、その光はまだ空の裾を赤く染めていた。波ひとつない湖は鏡になり空と湖畔の林をそっくりに映し出していた。オールが静かに水に吸い込まれていく。ボートが過ぎた後に立つ小さな波も湖の広さにあっという間に吸い取られてしまうようで、私たちは何とも接点のないところに浮かんでいるようだった。
湖畔の林に隙間があるのを見つけた。川があるんじゃないかな。そういってそちらの方向に向きを変え進んだ。近くまでいくとやっぱり川だった。狭いが緩やかに水が流れ出している。小さな橋が架かっていた。陸に乗り上げボートを岸辺につないだ。 橋に座って釣り糸を垂らす。各自のポケットからビールとタバコが取り出される。太陽は先ほどから高さは変わらないが少し東へ移動したようだった。水草が水面を軸に反射し小刻みに揺れている。足元を三羽のコウモリがバタバタと飛び回る。体内にアルコールを含んだ魚がいるって聞いた事ある?冬場に凍ってしまわないんだって。へー、ずっと酔っぱらってるのかな。飲酒スイミング。素面の人間の考える事の方がよっぽど危ないときもあるけど。日本の魚はすべて汚染されたの?うん。あ、釣れた!ヨンネが釣り糸を引き上げると10センチほどの小さな魚がかかっていた。針から外され水を張った赤いバケツに投げ込まれた魚はすぐに死んだようで微動もしなかった。しばらくして一匹の猫が現れた。薮の中からゆっくりとこちらの様子を伺いながら近づいてくる。白に黒斑と黒くふわふわと長い尻尾。白い両耳の間の二つの四角い黒い斑が短く切った前髪の様で、小さな黒い目をした人間の顔に見えた。人慣れしているのか 狭い橋の私たちの反対側を警戒しながらゆっくり渡っていく。おいで、おいで、魚をお食べ。バケツから魚を取り出し銀色にひらひら揺らす。お腹が空いていたようで手から魚をくわえ捕ると少し離れたところにまでいって食べた。全部食べてしまうとまた私たちのところへ戻ってきた。ぜんぜん釣れない竿を置いて猫と遊ぶ。名前をつけようよ。だめだよ、野生の猫に名前をつけたら。昨日も遅かったからそろそろ戻ろう。ボートに乗り込み沖に漕ぎだした。あの猫お腹空かせてたけど大丈夫かな。岸辺から離れると、ニャオ、と小さく鳴く声が聞こえた。やっぱり連れて帰りたい、戻ろうよ。このままだと多分心配で今夜眠れなくなるよ。そういいながらもボートは対岸へと進む。太陽はすっかり東の空まで横滑りして結局一度も沈まないまま、また昇ろうとしていた。境目が分からない程に止まっている湖面に、ふと、こちらが映されている方の世界だったかな、と思わされてしまう。パラレルワールドの反対側にいるって気づいたら、洋服を裏返しに着ると戻れるんだって。そういってメリはピンクに緑と黄色のストライプのセーターを裏返し、袖に足を通してズボンにして寝た。次に目覚めた時にも、まだセーターを履いたままだったので結局今がパラレルワールドのどちら側なのか判断はできないようだ。
今回はアムステルダムに用事が出来たのをきっかけに、せっかく地球のこっち側にいるんだから少しゆっくりできるところはないかと聞き回ったところメリのところに行き着いた。メリとは数ヶ月前にバルセロナで会った。私がアーティストインレジデンスでバルセロナに到着したすぐ、スペイン語が話せないため英語が共用語だった唯一の場所であるフィンランド人の運営するアートスペースに入り浸っていた。そのアートスペースでの展覧会のためメリと別のハンナ、ヨンネが10日くらい来ていた。そのときの別れ際には、もう数年、もしかしたら二度と会う事が無いかもしれない、というような気持ちで、またね、と言い合ったのだが、その機会は3ヶ月後に訪れた。フィンランドの首都ヘルシンキから車シェアでリイナという女の子に拾ってもらい北東に車で約1時間半の村、Rasiに到着。60年代に村の小学校として建てられ、その後ポリオ治療施設として利用されていた建物/家に昨年の秋からハンナ、マルコ、ヨンネ、メリの四人が住み始め、私は空き部屋の一つに夏至を過ぎた辺りから3週間ほど滞在した。一年で一番日が長くなるとき。夜の10時頃から散歩に出かけて、キノコやイチゴ、ブルーベリーを集めた。名前は分からない葉っぱ。この新芽に雨滴のようにのっているのは実は葉の水分がしみ出したもの。これはね、妖精のシャンパンといって滴をおでこに塗ると10才若返るんだって。私に薬草を教えてくれたおばあさんに聞いた秘密、とメリが教えてくれた。あった、こっちにも、と私たちは真夜中の森で妖精のシャンパンに酔いしれながら、日本昔話に欲張りおばあさんが若返りの泉の傍らで赤子になってしまう話があるよ、とお礼に教えてあげた。ついでにその日は7月7日だったので七夕の話もしたのだけど、白夜で星が見えない国の人々にはあまりピンとこない話のようだった。また別の日の午後10時、閉店後のスーパーマーケット裏のゴミ箱へダムスターダイビング(ゴミ漁り)。懐中電灯は無用。この近所はホームレスも少ないし、私たちが貰ってもいいんだよ。と、順序やマナーはあるちゃんと守る。パン、野菜、果物、チーズ、バラの花、賞味期限は切れてるけどまだ食べられるものばかり。有料なものがあるからゴミは無料で政府があるからアナーキズムがある。反発運動のエネルギーを発生させるには問題を仮定すればよい。本当の問題は、問題が無いこと。ありすぎる問題に誘発された問題は巨大モンスターの叫ぶ声のようにぎゃーぎゃーと私たちを捲し立てるけど、本当は問題なんて始めからなかったんだ、と気づけば叫び声も蝉の鳴き声のように風流ですらあるかな。しばらく気がつかなかったけどフィンランドの森の静けさは蝉の不在によるものだと分かった。10年間を土の中で暮らし、最期の1週間を叫びながら終える蝉の一生を、蝉を一度も見たことが無い彼らフィンランド人は思い思いに想像を膨らませていた。湿度の高い日本の空気が何種類もの蝉によって振動させられて夏中ビリビリとしている様子を上手く想像できただろうか。蝉の抜け殻を集める経験の無いフィンランドの小学生は数十ページにもおよぶ押し花を夏休みに作り数十種類の“雑草”の名前を覚える。ぼーっとしていれば9時間であっという間に東京から来れる場所ではあるけど、空港間のテレポーテーションのようなものだから実際の距離や間にあるものを全く知らない。本当は繋がってるのに色々を飛び越える移動だから、あっちとこっちは断絶された二つの場所と時間のように錯覚してしまう。蝉は地上に出た一週間を移動になんか使わないんだろうな。バルセロナでうっかりさよならを言わなかったサッカリにもまた会えた。失恋に破れたハートを縫い合わせるように、ちくちくノルウェー語を勉強していた。ノルウェーの山奥に籠ろうと思って。ああ、そう。それで気がついたらまたいなくなってた。また、さよならも言わずに。移動中の私たちは、さよならという言葉で区切れないほど地面にくっついている。その場を去ることすらできていない。ただ延長線上に距離を置いて、近づいたり遠退いたり、いつの間にか死んでいたり二度と会わなくても、一度も会わなくても。5年くらい前にブルガリアで会ったローラという子が今はヘルシンキに住んでいる。時間があったら会おう、とのメッセージが届いたので帰り道、空港に向かう途中で数時間会うことに。フェイスブックのお陰で友達の現在地が分かるのは便利だな。Rasiから電車でヘルシンキ。駅に到着してウロウロ待っていると、おーい、と肩を叩かれ振り返る。誰!?わー、久しぶりー!ハグハグ。誰!?あ、これは違うローラだ!と気づく。4年くらい前にアメリカの大学に留学生で半年くらい来てて、最近はロンドンに住んでいたんだけど1週間前にヘルシンキに戻ったらしい。わーわー、と一生懸命共通の友人たちを思い出しながら話を合わせる。笑いをこらえながら結局人違いをしていたことは内緒にしといて、話を噛み合わせながらカモメ食堂でランチを噛みしめて、空港行きのバス停で見送ってもらった。モイモイ(フィンランド語でバイバイ)。
松田朕佳 Matsuda Chika 1983年生まれ 美術家
長野市在住
ビデオ、立体造形を中心に制作。2010年にアメリカ合衆国アリゾナ大学大学院芸術科修了後、アーティストインレジデンスをしながら制作活動をしている。
www.chikamatsuda.com
マツシロオルタナティブ 2014年8月3日〜9月30日 池田満寿夫美術館
トポス高地 2014年10月1日〜10月31日 アリコ・ルージュ欧風料理店 上水内郡飯綱町
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