バルセロナ

matsudachika08

文・写真 / 松田朕佳

フランスで人は本当に「ボンジュール」って言うんだな、と感心した。

このまま忘れ続けていくと始めに知っていた事ですら、もう憶えていないのかもしれない。マイナスへ向かって減り続けていく記憶は無の中へ穴を空けていくようだ。空虚に空いた穴。それがどこまで深く続くのかは知らない。顔の真ん中で鼻が落窪み後頭部へ向かって伸びていくようで、前方しか捉える事のできない一対の眼球には確認のしようがないのだが、その距離は鼻の穴を脳天に向かって駆け上がる冷気の風音と、冷たく赤らんでいく鼻頭から随分と長く、北に伸びているのだろうと予測がつく。どこへいくんだろう。

パリで乗り換え、バルセロナ。

オラ。
車道は日本と逆だから気をつけてね。
うん、保険に入ってきたから大丈夫。
でも、うっかり車に引かれて死ぬのは嫌でしょ。
嫌かもね。(あんまり想像つかないや) スリに遭うと困るからってお財布には小銭しか入ってないし、どうやって身元を探すんだろうね。あなたは私が3日くらい音信不通でも探さないでしょ。3日後にやっとわかったとして、警察とかが大使館に連絡して、日本の実家に電話をかけるだろうけど登録してある電話番号は何年か前からFAX専用になってるから繋がらなくて、そしたら封書で送られるのかな。そうなると早くても1週間くらいかかって両親に伝わって、私の死んだ体をどうするかって悩まなくちゃならなくて、遺体の輸送費は私の、せっかく入った保険じゃカバーしきれないだろうし(事故に遭わない前提で入るわけだから安いのを選んだのね)じゃ、スペインで焼いて灰にして、でも入れてもらえるお墓も無いし土地も無いし、だから誰にも見つからないようにこっそり少しずつ道端にこぼすのね。どさっと一カ所に落とすと人目に付くから、歩きながら、さらさらさらさら。犬におしっこかけられて、その匂いを嗅いだ次の犬の鼻頭にくっついて、家に帰ってその鼻を絨毯に擦り付けるから灰は落っこちるんだけどエアコンの効いた部屋で乾燥した空気がまたその灰を舞い上げて住人の鼻の中に吸い上げられて次のくしゃみで6メートルも先まで吹き飛ばされて。その部屋っていうのが直線で3メートルしかないものだから、6メートルと言えばもう窓の外で、いま言った事をそのままもう一度くり返すってわけ。いくら地中海沿いの町だからって運が良くなくちゃ当分の間、海どころか、この近所からは抜け出せそうにないわね。そういえばつい先月のことだけど、知り合いの人のやってるバーにいたの。男の人が入ってきて、自分は後3年で退職するんだけど結婚もしてなくて子供もいないから死んだら灰にして海に撒いてくれるように姪っ子に頼んでいるんだ、って言うと、友達が、それ、僕に撒かせてくれませんか?ってしつこく本気で頼み始めて、アーティストっていうのは現代においてシャーマン的な役割を担っているんだ、とかなんとか。アーティストはアーティストでシャーマンではないよ、と私は思うんだけど。そのおじさんもおじさんで、死んだ後の事なんてどうでもいいんだ、と言いながらも一応そういうことは親戚あたりに頼みたいとかいう血縁への執着が実際はあるみたいで、結局その話は成立しなかったんだけどね。私はたまに、ずっと拠点探しの旅です、って人に説明したりしてるんだけど、見つかったらなにをするんだろうって考えたら、土地を所有してずっと居られる家を建てる、あ、それってお墓みたい、ってことに気がついて、そうか拠点というのは点在する点でもいいのかなって気になってきたんだよ。そしたら死んだ後灰になったりしてバラバラになって一つのお墓に入れない事もそんなに抵抗が無いというか、すでに色んなところに置いてきた荷物をどこか一カ所にまとめる事なんてできっこないし、まとめたところで置いておくならどこに置いてあっても同じじゃない。バラバラになったエコーはあちらこちらで歌い続けるのよ。近くに居ない友達の不在を寂しく思うときもあるけれど、彼らの全てが私の思考であり歩き方であり食べ方、話し方、見え方になっているんだとやっと解って嬉しい気持ちになったよ。数十時間で地球なんて一周できちゃうし、20万円くらいあったら大抵飛行機でどこへだって行けちゃうんだ。地球はこんなにも小さくくるくる回転しているのに、なんで言葉の通じない近隣住人たちが蠢くこの町はいつまでたっても道に迷うほど果てしなく広がってるんだろ。
そういうときはね、半目にするといいよ。
半分になるね。

日曜の午後に出来上がるピカソ美術館の前の長蛇の列。最後尾について数歩づつ進み1時間。物乞いは悲しい顔を作り続け列の間を歩き回り、土産売りは進まぬ列に飽きた観光客の気を引く為にうるさくカスタネットを叩く。それぞれがゆっくりと流れる時間の中を漂っていた。休館日の明日、物乞いは悲しい顔を作ることから、土産売りはカスタネットを叩くことから、観光客は列を作る事から解放される。

松田朕佳 Matsuda Chika 1983年生まれ 美術家 
長野市在住
ビデオ、立体造形を中心に制作。2010年にアメリカ合衆国アリゾナ大学大学院芸術科修了後、アーティストインレジデンスをしながら制作活動をしている。
現在スペイン・バルセロナに滞在中
www.chikamatsuda.com