文 / 納和也
朝が来ると灰色の煙に包まれている。被っている毛布は乾燥され毛布に包まれた足は冷や汗で温い疲れに塗れている。覚醒している事があまりにも辛く睡眠剤を飲む。灰色の午前は眠るしか逃げ場がないようだ。所謂鬱、パニック障害にて動く事が難儀になる。この世界は動かなければ居場所がない。そういう現実が自分に脅迫して来る。怯えながら、それが心を圧迫して来る。心の病は肉体の環境から生まれる。同じ事を繰り返すだけ、分かっていてももう止められない。続けて、続けてと時だけが過ぎる。他者からの声にも応えられなくてやがて誰も居なくなる。他者が居なくなったのだから楽だろうと思っていたけどそのまま苦しみが増すばかり。もう動けない。「私を殺さないで」「私を殺さないで」「私を殺さないで」。飼い犬が吠える。その声が僕に雪崩れ込む。
田中角栄の「日本列島改造論」を読む。田中角栄の声を聴く。それらによって人間の可能性がこの身体へ少しだけ声を掛けてくる。日本列島に居る自分。雨が夜空を吸い上げる。するともう何も考えたくなくなる。頭が覚醒しても虚しいだけ。薬を飲む。気が付くと15時を廻っている。ただ夜が近い事だけが救いとなる。
飼い犬の散歩をして布団へ。こんな事を繰り返してそのまま明日へ。明日が来るのが怖い。やめてもらいたい。お願いだから。。薬を飲まないと夜でも眠れない。また薬か。眠る直前に薬を飲まないとお腹が過剰に減り暴食に塗れる事を最近知った。40男の現実はいきなりやって来る。どうにもならない。動けないし眠れない。疲れた。淀んだ頭は日々淀み続けている。
陽が落ちる頃「DARK SOUL」というコンピュータゲームをやる。繰り返し繰り返しという性質のこのゲームは非生産的な自分の今と連動してルーチンワークとなっている。廃人のようにDARKな世界がモニタに映る。心地よい。
車を運転する。行き場もないのに。ただ走って移動している事だけが救いであるので水平対向エンジンのコーナリングに身を任せて時を過ごす。行き場のない僕。何とかして横にならないで座って一日を過ごせるように明日から取り組みたい。今年の1月は走っていたけどその走っている時といきなり無用の自分とのギャップに翻弄されて淀んだ灰色の霧が僕を包む。無化、無化、「は〜ぁ、、、」過去は寝床からしか蘇らない。
depression。19時から24時は比較的に生きていられる。でも朝が来るのが恐ろしい。想い、現実、要請が凝り固まって石膏のように間接に染み込み凝固している。「助けてください」「助けてください」「助けてください」
先日東京へ行った。僕は産れが関東なので東京が故郷なのかもしれないが今は長野県長野市が故郷となっている。幼少の頃の転校が僕に刻印されている。居場所が解らなくなっている、正直な処、田中角栄のだみ声で日本を改造の詳細を反芻する。日本の距離、時間を削減し土着を消し去るような「日本列島改造論」。僕の故郷は「日本列島改造論」なのかもしれない。一定の場所に落ち着ける事が出来ない僕にとっては。東京の喧騒に疲弊しかといってこの山の此処もよく解らない。
吹雪は突然やって来る。慣れる事は決して出来ない。
納和也 Kazuya Osame クリエイター 1971年埼玉県熊谷市(旧妻沼町)生まれ
http://osamekazuya.com
|