女性性もしくは中年についての考察5 「エロモンは世界を動かす」 

文 / 松下幸

 「フィフティ・シェイズ・オブ・グレイ」というエロ小説がある。
イギリス人のおばさんがネット小説として書いていたのが爆発的人気を呼び、書籍化してみたら発売から3ヶ月で3000万部も売れてしまった。英アマゾンに限るとハリポタシリーズを上回る史上最速の売れ行きを記録した、超大作エロ小説だ。全3巻。2013年4月付で電子版も合わせると全世界で6300万部も売っている。にわかには信じがたい数字である。「エロコンテンツは密やかに楽しむもの」という(私の)常識を簡単に打ち砕いてしまった、富士山噴火級のエロパワーだ。
 ここシンガポールでも、発売から4ヶ月経った今でもベストセラートップ10に入っている。独自調査によると、タイムスパラゴン店の8月14日調べで第6位。この日付に間違いはない。娘が水疱瘡を発症したと病院で太鼓判を押された日だからだ。2ヶ月のホリデーという想像を絶する苦行から解放され、やっと幼稚園の新学期が始まった翌日だ。そこから復帰までさらに12日。約2週間の籠城だ。ぶつぶつ以外元気すぎる4歳児と2週間も家の中に閉じこもる生活を想像してみてほしい。どれだけ「発熱してくれ」と願ったことか。私はこの地獄が想像できない全ての人を呪おうと思う。分からない人、端から呪っていきますから。
 せめてもの慰みは、エロ小説を読むこととフェイスブックに娘の症状について投稿することだった。しかし私は投稿時、「チキンポックス」という水疱瘡の英名を「チキンポット」と書いた。英文で幼稚園に知らせた時ですらそう書いていた。しばらく経ってから親切な誰かが公衆の面前で指摘してくれるまで、私は「随分と美味しそうな名前だなおい」と思い続けていた。こっそり素早く教えずに赤っ恥をかかせたその親切女も七代末まで呪ってやる。
 ところでこのエロ小説だが、「マミーポルノ」という新しい分野を切り開いたことでも注目されている。そう、これはもう若くはない子持ちの女ども(つまり私)に向けた小説なのだ。サッカーママが子どもの練習を待つ間に読むとかいう情報を聞いたが、私もスーパーの列に並びながら電子版を読んだ。キンドルがあればどこでどんな恥ずかしい文章だって楽々読める。マミーの皆さん、エロ本読みたいならキンドルをゲットですよ。アズスーンアズポッシブル。

 世界中のマミーが沸々とたぎらせていたエロモンを大爆発させ、世界中の男どもを震撼させたこの小説の中身を少々紹介しよう。ダビデのような肢体を持った、27才にしてアメリカ有数の富豪であり企業家の、しかし氷のように冷たいクリスチャン・グレイという男がいる。これが何の変哲もない女子大生であるアナスタシア・スティールに一目惚れし、神を崇拝するがごとく熱烈に愛し始める。しかしこの男、やっかいなことにサド性癖を持ち、彼女への愛を自分へ服従させるというSMの形で押し付けるから困ったもんだ、という、簡単にいうとそういうストーリーだ。
 だがこのクリスチャン、SMという部分を除くとまさに女の夢を体現したような男なのだ。女子大生の処女喪失から結婚後まで、全てのセックスにおいて完璧な、それも1度に複数回の、毎度種類が違うオーガズムを与える。偉業である。その上1日に5回も6回もやるもんだから、本が1冊終わってもまだ1週間ぐらいしか時間が経過しない。途中から肝心のエロシーンを省かなくてはならないぐらいの神がかった精力を持つ神がかったテクニシャン、それがクリスチャン・グレイだ。ときには股間の箸休めにと、アナを大富豪ならではの冒険へ連れ出す。グライダーやヘリコプターで空をゆき、自慢のヨットで海をゆく。さらにマックブックやブラックベリーから始まって果ては出版社までアナに買い与える始末で、そのべた惚れ具合ったらない。
 そして最大の肝は「子供の頃激しい虐待を受けたせいで、心に深刻な傷を負っている」という点だ。蓋をあければ傷だらけの子どもみたいなクリスチャンを、大きな愛で包み込み癒やす。これはクリスチャンの最愛の恋人であると同時に、母としても君臨するという意味である。最強だ。
 癒してしまえばSMはただのお遊び、なのでエロのほうは実は大したことはない。量は多いがSMはせいぜい尻を叩いて肛門に指を1本入れる程度で、マミーが妄想できる範囲に留まっている。それ以外は、延々とイチャイチャしたり痴話喧嘩したり仲直りしたりの繰り返し。つまりこれは、エロ入りの少女漫画であり、そこがマミーの心を鷲掴みした所以である。中年女の浅ましいまでの強欲さをどこまでも満たしてくれるのだ。マイルドな倒錯と超絶オーガズム攻めのセックスをする(そこには当然「大きい!」も入る)、若くて完璧で実はもろい男に崇拝される。これが世のアラフォーの夢であることを、この本ははからずも証明したのだった。

 クリスチャンの持つ「理想の男性像」の要件として、コミュニケーション能力の高さも見逃せない。主人公のアナは一貫して「彼は何を考えているか全然分からない」というけれど、それはこの女がバカなのであって、実際にはクリスチャンは常に自分の気持ちや行動をしつこいくらいアナに報告し続けるし、アナの気持ちならどんな些細なことでも見逃したくない風なのだ。たまにセックスや愛以外の話になっても、意外と二人の趣味は合う。しかもクリスチャンは何においても博識だ。様々な興味深い話でもって、アナを退屈させることがない。
 話が楽しい男、私のことを余さず受け止めてくれる男。しかしアナはバカなのでその偉大さに一向に気づかない。小説とはいえこの大富豪は一体なんでこんなバカ女が好きなんだろうか。目を覚ませ、クリスチャン!
 話を戻すと、上記一連が女にとっての「理想の男」の条件なのだ。どこかにいるであろう、いつか巡りあってまさか自分が愛されちゃったらどうしようとドキドキするような男、それがクリスチャンだ。しかしこのことは、全てのフィクションストーリーのセオリーに当てはめると、残念ながら、
「そんな男は世界中探しても、万が一にも存在しない」
という事実を我々に突きつけるのである。
韓流ドラマが好きな人はよくご存知と思うが、彼の国のドラマでは必ず、男は財閥の息子であり若社長で、ハンサムで高身長だけど超オレサマで性格が悪い。対するは、学歴もなく容姿もぱっとしない女子。最初は嫌い合う二人が何の因果か一緒にいることを強要され、いつしか恋に落ちる。
 んなこと、あるわきゃねえ。
 冷静に考えればわかる。よくあるのは「そんな二人が同居せざるをえない状況になる」だが、喧嘩するほど破綻した関係の人間が同居することほどの苦行はない。仲良しだって同居すれば険悪になりかねないのだ。自分がリアルにその場に置かれることを考えるとぞっとする。完璧な条件を兼ね備えた性格の悪い男に「疎まれながら」暮らすのだ。そんなんただの罰ゲームじゃないか。

 そもそも小説というのは、現実とは逆のことを書くことになっている。クリスチャンが小説に出てきた時点で現実にはクリスチャンは存在しないということだ。
 だから価値があるのだ。想像してほしい。フィフティ・シェイズ・オブ・グレイを読んでエロモンマグマを爆発させた世界中のマミーのなかに、一体どれほど本気でクリスチャンの登場を夢想する女がいるだろうか。もし仮に、万が一、そんな男が存在したら、そして愛されてしまったら、きっとその男と一緒になることを望むだろう。つまりそれは「マミーではなくなる」ということだ。めくるめく愛の世界に子どもなど邪魔なだけだから。
 中年に差し掛かった、美人でもない平凡な女が、最高の男に愛されたあまりに我が子を捨てて遁走するなんて、見苦しい。痛い。無責任すぎて目も当てられないことを、まともなマミーならちゃんと分かっているのだ。
 我が子を捨てた重みに耐えつつ、どんだけ性欲たぎらせてんだという周囲の白い目にも耐えつつ、ぶっさいくなおばさんのくせにという蔑みにも耐えつつ、それでも好きな男と逃げた挙句開き直れる面の皮の厚さを持っているのは、晴美、後年に寂聴と名乗ってふてぶてしく世に道徳を問うてみせるあの瀬戸内さんくらいしかいない。あのくらいの「厚顔無恥」という才能がなければ成し得ないことなのだ。
 デフォルト設定のマミーは、私のように腰の座らない、どっちかというと痛めのマミーでさえも、子どもを犠牲にしてまで幸せを感じる才能はない。その先には、食用の豚より劣る人生しか待ってないことを、我々は直感的に知っている。だからこそ、クリスチャン・グレイのめくるめく性技に悶々として眠れぬ夜を過ごすことが逆説的な幸せなのだ。だってそんな男に出会う心配はないから。だからこそ、私達は安心して彼に向かってたぎるマグマを注ぎ込み、次の瞬間には平然と母親の顔に戻れるのである。
 我々には、マミーポルノが必要なのだ。

 ところで前号の終わりにさらりと書いたわたくしの年上男性との「恋」はどうなったか?
 あっさり気持ちが萎んでしまった。それは少なからずクリスチャンのせいである。
 誰かを好きになるとき、当然ながら女は、相手の男にクリスチャンのような要素が少しでもあることを期待する。強い愛情で私を乞うてくれるのでは。超絶性技の持ち主では。延々と私の話を聞いてくれるのでは等々。
 しかし50代というので期待した包容力は、実際には面倒なことは見て見ぬふりのスルー力であった。年の功で会話がうまいと思ったら、たまに喋れば自分の自慢話か愚痴かエロトークしかしない。性において相手への共感が大事だということが分かっていないことすら分かっていない。オーガズムどころか迷惑この上ない無能の巨根だ。性交によって痩せるという友人の証言もまた妄言であった。こうなると50代という年齢は欠点にしかならない。そして突然、男に対して何の興味もなくなってしまった。残るのは気の重い後始末だけだ。生身の関係というのは、想像以上に重く、同時に想像以上に軽かった。
 しかし、クリスチャンが完璧男としてポルノファンタジーに君臨しているのを見ると、その期待を裏切ったこのおっさんこそまさに「普通の男」の典型ということになる。
 男というものは女性の話を聞くのを面倒くさがり、愚痴と自慢とエロトークにしか興味がなく、包容力のかけらもなくもちろん性の超絶技巧なんて有り得ない。だからオーガズムの「ふり」が必要になる。
 もちろんこれは極端な例であるが、「地図の読めない女」的な(時に脳科学を引き合いに出した)一般論として、女とは男にとって面倒この上ない生き物であり、男は女から見るとしょうもない生き物なのだ。
 結局私は恋愛感情を思い出したかっただけなのだと、妄想の完璧男に教えられた。そしてそのおっさんへの恋心が雲散霧消したとき、不思議なことに非常に大きな幸せを感じた。夫が前よりましな男に見え、子どもと過ごす平凡な毎日がこの上なく大事なものに感じられた。私はフィクションにある理想の男が現実に現れることを期待しつつ、それが裏切られたことで心の平穏を得たのだった。
 エロモンが、安心安全な私の手の中に戻ってきた。
 しかし、だ。そうすると、突き上げる衝動は、どこに旅立ってしまうのだろうか?

 ついに病院で登園許可書をゲットして、さあ明日から幼稚園に復帰だぞと期待に胸を膨らませた日、私と娘は一風堂オーチャード店に赴いた。そこで30代半ばだろうか、長身で気の利く男性日本人店員が何かと私に気を遣ってくれた。目をやると相手と目が合う。ドラマだったらここで恋が生まれるところだが、私のエロモンはというと、ラーメン食べながら持つキンドルの向こうに注がれるばかりだった。
 今更なのだが、実はこのところ夢中になって読んでいたエロ本は「フィフティ・シェイズ・オブ・グレイ」ではない。
 私が読んでいたのは、50代のぽっちゃり部長と40代も終わりのガチムチガテン系オヤジの切ない恋物語だった。クリスチャンとアナよろしく、この男二人もペニスの乾く暇もないほど性に溺れている。
 老け専デブ専向けゲイ雑誌「サムソン」に掲載されていた本物のゲイ小説群だ。BL(女性が描くゲイマンガ&小説)なんて生ぬるいパチモンには目もくれず、旅立ったはずのマグマは意外なところに着地した。やつらはカモメのジョナサンのよろしく目的を無視して手段である「エロ小説を読む行為」自体をひたすら磨くことを選び、結果サムソンという地平を見たのだ。
 これらの小説のなかで、主人公は偶然にも一目惚れする容姿のおじさんに巡りあい、仮に相手がゲイでなくてもめくるめく性技でもって菊門を犯し、時には犯され、ペニスを触りもしないで深い深いエクスタシーへと上り詰める。ノンケの男女が相手の「いい匂い」に反応するとしたら、彼らは相手の脂ぎった、加齢臭の混じったおっさん臭に萌える。洗ってない下着、風呂にはいらない股間。なんでこれに萌えるのか、全く理解できない。理解できないまま、なんか、煮える。
 BLにおいても大人気の陵辱モノは、サムソンに至ると陵辱してくる相手が本当に、本当に気持ち悪い。近寄るのも嫌なくらい悪臭のする相手が、ノンケの少年に強引に襲いかかって緊縛し口に大量に唾液を流し込み小便を浴びせ自分から強姦を乞うようにまで仕向ける。そして信じられないことに、陵辱される方はいずれ快感に溺れるようになる。くさい、汚い、危険。本物のゲイ世界におけるひとつの理想形は、懐かしの3Kのなかにあった。
 サムソンの世界では、よいセックスというのはどれもある程度の陵辱が含まれる。そんな薄気味悪い変態行為に自分たちが快感を覚え、オーガズムの泥沼に堕ちていくことに最大の魅力があるようだ。それはBLで腐女子の皆様がムラムラしてしまう美しい変態行為の対極にあるのだが、しかしこうしてみれば、変態行為に快感を見出すというのはマミーのセックスバイブルであるフィフティ・シェイズ・オブ・グレイも同じ。男も女も老いも若きもアブノーマルへの憧れがある。と、決めつけておこう。あなたもあなたもそこのあなたも、みんな変態なんですよ。

 これが現実とは真逆の世界であることを考えると、ノンケの我々が寒々しい妥協の世界で生きるのと同じく、サムソン読者はルックスなんて贅沢は言えず、アナルセックスは不愉快極まりなく、ノンケには嫌われ緊縛されても興奮する前に命の危険を感じる世界に生きているということだ。
 エロ小説を読みながら、男も女もゲイであっても、我々は皆荒涼とした世界に生き、夢のセックスへの憧れによって逆説的かつささやかな幸せを得ているのだと気づいた時、深淵を覗きこんだような、神聖な気持ちになった。そんな清い心で毎夜、おやじの恋模様にムラムラする。安心安全。だって私はおやじじゃないから!
 かっこいい上にこちらを見向きもしないわけでもなさそうな男を前にしても平気でホモ小説を読んでいられる私は、まごうことなき中年マミーである。体重の最高記録は順調に更新中だ。しばし生身の世界を忘れて、キンドル片手に妄想の世界に溺れていよう。そうしよう。(つづく)

松下幸 Koh Matsushita
1972年生まれ
福岡県福岡市出身 / シンガポール在住
コピーライターのようなもの
大学中退➝フリーター➝主婦➝フリーター➝会社員➝フリーランス