文 / 丸山玄太

 首の座っていない赤ん坊のように不規則に頭を揺らしながら、オレンジ色に灯る夜中の街灯の下を男が歩いていく。タクシーが一台、後方から走ってきて速度を緩めたが男の様子に再び速度を上げて通り過ぎていった。男の額に雨粒がポツリと落ち、そのうちアスファルトを黒く塗り潰し始める。男の影が無数に広がり歪む。遠く陽の匂いがアスファルトから立ち、男からは女の肌の匂いが立った。

 女のところへ初めて通った帰りには既に憑かれているのを感じていた。その日に女が夢枕に立ち、やはりな、と女の匂いが漂う部屋で他人事のように頷いていた。夢の尾を掴もうとしたが霧消している。身体には汗を纏っていた。悪夢ではなかった。だがそのまま眠っていられるようなものでもなかった。

 線路を潜る歩道を過ぎて、男はかまぼこ型の高架橋を渡る。雨に反射しながら届くサイレンの音は一向に近づきもしないまま静かに消えた。揺れるに任せて彷徨わせていた男の視線の先を助手席に乗った女が通り過ぎたが、男の視線は車が夜陰に吸い込まれる随分前に中空に投げられていた。

 通い続ければいつか呪い殺される―いつだったか捲った古い話が浮かんだ。これきりだ、という決心などお構い無しに夢に女を見る。眠れぬ夜を幾度も過ごし諦めた頃に女を見なくなる。

 雨は止み、蒸した肌に女の匂いだけが残っていた。男は交差点で暫く立ち止まっていたが、引き返し住宅街への脇道を折れた。物音の絶えた団地を横切り小さな公園に入る。掘り返したままの砂場に面した古いアパートの二階窓が開け放たれ、そこから潜むような声が漏れていた。男は底のできた小さなゴムボールを手に取り砂利を払ったが、雨に濡れた砂利は男の手に付くばかりで幾らも落ちず砂場に放ったが、再び拾い上げて窓に向かって放り、交差点まで同じ道を戻った。

 夜風に触れると女の影は薄くなり、眠れぬ夜も少なくなった。女にこの話をすると、それならば忘れるほどに夜に流してしまえばいいわ、と背を向けたまま微かに聞こえる声で言った。

 雨雲が去り空が藍色に染まり始めていた。男は玄関前の僅かな凹みにできた水たまりに靴の先を少しだけ差し込み水面を揺らした。波は緩やかに消えていき、水面に男の姿を映す。何度か繰り返したあと、男はその小さな水たまりを足を振り上げて強く踏み蹴散らしたが、水たまりを消し去ることはできなかった。

丸山玄太 1982年長野市生まれ 東京在住 クリエイター
undergarden主催
2013 8.24 sat – 9.9 mon / オブセオルタナティブ
2013年9月アリコ・ルージュトポス高地(丸山玄太展)
TOPOOS Highland Haricoit Rouge 2013
欧風家庭料理店「アリコ・ルージュ」
長野県飯綱町川上 2755 飯綱東高原 飯綱高原ゴルフコース前
phone 026-253-7551
営業時間12時~20時30分
休館・定休日 火曜
http://homepage3.nifty.com/haricot/
http://toposnet.com
メノオト