極東 <the Far East >

文・写真 / 北澤一伯

遠野物語 より。
『111 山口、飯豊、附馬牛の字荒川東禅寺および火渡、青笹の字中沢ならびに土淵村の字土淵に、ともにダンノハナという地名あり。その近傍にこれと相対して必ず蓮台野(れんだいの)という地あり。昔は六十を超えたる老人はすべてこの蓮台野へ追い遣るの習(ならい)ありき。老人はいたずらに死んで了(しま)うこともならぬ故に、日中は里へ下り農作して口を糊(ぬら)したり。そのために今も山口土淵辺にては朝(あした)に野らに出づるをハカダチといい、夕方野らより帰ることをハカアガリというといえり。』
私の生家がある伊那市富県南福地阿原集落にある墓地名は「でんで」という。遠野物語 に記されている蓮台野(れんだいの)と同じ意味である。
伊那市富県南福地阿原。阿原は「あわら」と読む。他地区での用字は「阿原」のほか「芦原」「蘆原」などが知られている。『古事記』『日本書紀』には、ともに日本の国土のことを「豊蘆原瑞穂国」(とよあしはらのみずほのくに)と記してあり、蘆が茂っている湿泥地で稲作が盛んな豊かな国という意味のようだ。「あわら」の語源は泡。湧水の土地の、柔らかな泥濘の泡のような手応えのなさから、湿泥地をさすと思われる。「ら」は、あちら/こちらの「ら」で、場所の意味だという。このように考えて、風景と物事を観ると、日常の地つづきに他界=西方浄土が空間化された地図としてあらわれる。そして生家の屋号は「東」。つまり、ここは縮尺1/1の日本。
3・11後の極東 <the Far East >。

美には傷以外の起源はない。「アルベルト・ジャコメッティのアトリエ ジャン・ジュネ 鵜飼哲=編訳 現代企画室」p8 素材:雪 場所:安曇野市三郷仕事場付近 As for the origin except the wound, the beauty does not have it. (《Atelier of Alberto Giacometti》 Jean Genet  june 1957) (《L’ atelier d’ Alberto Giacometti》 Jean Genet  juin 1957) Material: Snow Place: Azumino-shi Nagano Japan

美には傷以外の起源はない。「アルベルト・ジャコメッティのアトリエ ジャン・ジュネ 鵜飼哲=編訳 現代企画室」p8
素材:雪
場所:安曇野市三郷仕事場付近
As for the origin except the wound, the beauty does not have it.
(《Atelier of Alberto Giacometti》 Jean Genet june 1957)
(《L’ atelier d’ Alberto Giacometti》 Jean Genet juin 1957)
Material: Snow
Place: Azumino-shi Nagano Japan




北澤一伯(きたざわ かずのり)

1971年から作品発表。74年〈台座を失なった後、台座のかわりを、何が、するのか〉彫刻制作。80年より農村地形と〈場所〉論をテーマにインスタレーション「囲繞地(いにょうち)」制作。94年以後、廃屋と旧家の内部を「こころの内部」に見立てて美術空間に変える『「丘」をめぐって』連作を現場制作。その他、彫刻制作の手法と理論による「脱構築」連作。2008年12月、約14年間長野県安曇市穂高にある民家に住みながら、その家の内部を「こころ内部」の動きに従って改修することで、「こころの闇」をトランスフォームする『「丘」をめぐって』連作「残侠の家」の制作を終了した。韓国、スペイン、ドイツ、スウェ-デン、ポーランド、アメリカ、で開催された展覧会企画に参加。
また、生家で体験した山林の境界や土地の権利をめぐる問題を、「境(さかい)論」として把握し、口伝と物質化を試みて、レコンキスタ(失地奪還/全てを失った場所で、もう一度たいせつなものをとりもどす)プロジェクトを持続しつつ、95年NIPAF’95に参加したセルジ.ペイ(仏)のパフォーマンスから受けた印象を展開し、03年より「セルジ.ペイ頌歌シリーズ 」を発表している。その他「いばるな物語」連作、戦後の農村行政をモチーフにした「植林空間」など。現在継続しているプロジェクトに「池上晃事件補遺 刺客の風景」と、『くりかえし対立する世界で白い壁はくりかえしあらわれる「固有時と固有地」』(長野市松代大本営地下壕跡)がある。