3・11以降の生き方

文 / 角居康宏

そもそも、こんな生き方で、こんな社会で、未来永劫生きていけるとはあまり思っていなかった。どこかで立ち止まり、振り返り、後ずさりする必要があるとは思っていたのだ。

あんな風に突然きっかけを与えられて正直戸惑っている。もう2年以上も経っているのに後ずさりする仕方も思いつかない。殆どの人は後退する必要とか、考えもしてないんじゃないだろうか。

こんなふうに急激に忘れられていくとも思わなかった。まるであんなことがなかったみたいに。汚染が広がっているとか、汚染濃度が高まってるなんて知らない人たくさんいるんだろう。

でもあのきっかけが持つエネルギーは大きい。絶対に後退しなければいけない局面はこれからやってくる。お気楽に考えちゃいけない。今の社会システムの重要な何かが壊れるだろう。

日々の生活はお気楽にこなさなきゃいけない。生きるためのエンジンに喜びという燃料は不可欠だ。絶望の縁でいつ来るかわからない転機を待つなんて生きる意味を失ってしまいそうだ。

しかし前を向いてへらへら笑いながらムーンウォークしていくみたいなことが今の社会生活の中でどう具体化されるのか。ちょっと今の僕には想像できない。大体なにを失うことになるのかわからない。

わからないまでも、その局面の到来だけはなぜか確信がある。原因については知っていることも多少はあるし、その影響を想像できることもある。隠された情報も沢山あるんだろうなあ。

自分に課せられた使命は何かあるだろうか?自分が何かを食い止める役割を与えられているのだろうか?それとも何かを進める役割を?そんな運命みたいなもの、あるのかな?

さいわい、ものつくりとして生きてくることが出来た。日々の喜びには事欠かない。作ることにも創ることにも喜びを感じられる。待ってくれる人がいて喜んでくれる。その人の喜びも共有できる。

こんな能天気なお気楽野郎が無い知恵絞って想像がつく程現状は悲惨だ。多分。浅はかな考えだったねって笑えるもんなら笑っていたい。間違ってて後ろ指さされるくらいのことだったら受けて立とう。

子どもに明るい未来を与えてやれるんだろうか?どうやったら?幸せになるかどうかは個人の能力だが、幸せになれる土壌を、社会を与えてやるのは今社会をになっている世代全体の責任だ。

デモにも参加してる。パブリックコメントも書いた。いろんな組織の署名もした。危険な情報を出来るだけ正確と思われるものを発信もしている。しかし広がらない。すごく閉塞感がある。

結局のところ自分の仕事で伝えるしかないのかなとも思う。仕事をして繋がれる人を増やす。幸運なことに発信源となりうる仕事を得た訳だし。しかし今までもそうやって来たんじゃなかった?

でもやっぱりそれしか思いつかないな。やり方が足りなかったんだよ。仕事が足りない。もっと課さなきゃいけないんじゃないか?今の倍仕事して、今の倍人と繋がる、そんなつもりで。

コンセプチュアルな作品ももっと作ろう。メッセージの届く仕事もちゃんとしよう。運命は信じてないまでも、今までの生き方の延長線上にやれることがあるとすれば仕事の中にしかない。

覚悟の問題だ。行動に覚悟を持たなきゃならない。今この一瞬は今しかない。覚悟を持って仕事をする。覚悟を持って伝える。覚悟を持って生活をおくる。それが3・11以降の生き方ではないか。

角居康宏 Yasuhiro Sumii
1968年金沢市生まれ、金属造形作家
長野市、善光寺門前にGallery&Factory原風舎 をかまえる。
錫(スズ)にてうつわ等クラフトワークを、
アルミにてアートワークを手がける。
http://www.yasuhiro-sumii.com