反1969論(ロックにおける69の生き方 71年生まれの僕からの見解)

文 / 納和也

1969年といえばビートルズの終わり。
ジミヘンドリックス、ジャニスジョップリン、ドアーズ。
あとクリーム。
これで奇跡のロックの時代はは終わりました。
1970年代僕の生まれたあたりです。
辿ると1970年代はこの奇跡を延長することに費やした時代だったようです。
仕込みたっぷり戦略家である巨漢ピーターグラントとジミーペイジはこの奇跡の反復を行うために自然発生的バンドではない策略的構築バンド、レッドツェッペリンを1969年に結成。同じくしてキングクリムゾン、ピンクフロイド、イエスも登場。
彼らは69年の奇跡に乗り遅れた哀しい人達です。
レッドツェッペリンはいかにその奇跡を延長持続出来るかという手段に長時間ライブを選択しました。
※余談ですが公式版以外に膨大にあるその長時間ライブのテープがある。西新宿で高値で売買されています。

1977年、前年、ザ・バンドは「ラストワルツ」でアカデミックにこの69年の亡霊から足を洗いました。
レッドツェッペリンは1975、1977年と相も変わらずこの魔術的1969を身を削って延長持続しました。
このバンドのやくざな裏ボス巨漢ピーターグラント、ジミーペイジは過剰なツアーに正気では臨めず酒、クスリを過剰摂取の上こなしていました。
(レッドツェッペリンのこの持続の記録は「レッドツェッペリンライブ全ガイド」という書籍に細かく記してありす。
奇跡的瞬間の時代ではなく、その持続、延長の時代、1970年代に僕は生まれました。
もう伝説など無縁の時代です。
レッドツェッペリンは決して伝説なのではなくただただ70年代にこの69を延長持続しただけなのです。
ロックを芸術というならレッドツェッペリンはそうではありませんでした。
あくまでも生きてゆく為に69の持続を選択したのです。
バンドの構想時、巨漢ピーターグラントとジミーペイジはハードロックにするかウエストコースト的アコースティックにするか話し合ったそうです。
1960年代の自然発生的素材を生きてゆく為に「どうするか?」という姿勢です。
1977年のツアーにてその持続の過酷さ、そのものにのまれ79年にドラムのボンゾがアルコール中毒でこの世を去りました。もはやクリエイティブの為の酒、クスリではないのです。あまりにも過酷な労働だったのです。
69と79の差。
79年のその終わりは労働者が労働に辟易しただけではないでしょうか?
69の奇跡を持続する上で彼らは過剰に酒、クスリを摂取しました。
でももうそれで死ねない時代が70年代だったのでしょう。
公式版以外に膨大にあるその長時間ライブのテープがある。西新宿で高値で売買されている細部の音源を聴きますと自我崩壊的な69とことなり単に肉体だけの単純なものだけが頼りになっています。
69と79。それでも何も終わらないし始まらないのです。
79ではもう伝説でもなくとにかく唯一の頼りだった肉体の限界だったのです。
これは困難な時代を生き抜いてきたサバイバルだったのではないでしょうか?
とても現実的、肉体的な79でした。

納和也 Kazuya Osame クリエイター 1971年埼玉県熊谷市(旧妻沼町)生まれ 1980年より長野県に転居 1990年STUDIO3在籍 1994年阿佐ヶ谷美術専門学校リビングデザイン科卒業 1998年〜2010年 株式会社デジタルアドベンチャー勤務
*2012年7/10~7/22 TOPOS depression karte at はっぱカフェギャラリー 出品作家

One Comment

  1. こんにちは。はじめまして。
    新しい切り口のZEP論、楽しく読ませていただきました。
    ドラマーの私としては、ボンゾの晩年を「労働」とは耳に新しい。
    (反論しようとしているのではないので誤解なさらないでください)

    改めて、聴きかえしてみます。