困難のその先にあるもの

文 / 箱山正一

本当は【ふとん屋】なんて継ぐ気がなかった自分。自分のやりたいことを実現するために【埼玉】の会社を辞め、長野に帰ってきた。北信濃にあって小さいながらも観光地として有名な誰もが知る【小布施】という町。待ちに待った【夢】へと具体的に動き出すその瞬間。感じるままに、門をたたき【その会社】で働く以外ありえなかった。買った本の中の主人公である【アメリカ人女性】の取締役に渾身の履歴書と職務経歴書を送る。狂ったように自分をアピールし、その会社で自分が【やりたいこと】を列記した。支度を十分にすませて【鼻息荒く】面接に向かうとその場で採用がきまり、すぐに来てほしいとのこと。言葉にできないほどの【スピイド感】。肝心なのは、話の内容よりもその【決断力】の早さなんだ。なんだかんだとあっという間に身の回りを【調整】して中途として長野に家族3人で帰える。変える環境の【わくわく】としたキモチをいつでも大切にしたい。鯛をさばいたり、信州の野菜をてんぷらを揚げたり、長野ではあまり食べることができないノドグロ(黒ムツ)をまるまる一匹炭火で焼き、ご飯は店内にある昔ならではのかまどで炊いた新潟のコシヒカリを多くの【観光客】に食べていただく。いただくお給料を着々とためて、数年後には実家のふとん屋を【つぶし】、門前に似たような和食店を出す。出すのが僕の「夢」、そのはずだった。たった数日でそれは【この世界】では甘いことだと言うことに気がつく。つくってきた頭の中の【妄想】はすべてひとりよがり。仮に僕に才能があったとしても30歳で調理場の【経験ほぼゼロ】からやらせてくれる余裕のある職場なんてない。ないのは【自分の能力】だけでない、会社も再編で、教わるはずの職人もすべていないという・・・なんというタイミングの悪さだろう。労働の【意欲】が一気に失せそうになった中途入社初日からの数日間。【実感】のわかない日々。ひびが入った夢と【プライド】。挑む部分がそれでも残されているとするなら、まず自分の夢を会社で語る前に、その会社でまず自分ができることで【役に立つ】こと。言葉よりも【行動】。どう動き、どう会社に【貢献】し、信頼を勝ち得ていくかだ。片思いでなく【両想い】になれば世界はそのとききっとひろがる。中途採用だからといって意地をはるな、最初は恥かいて、【汗かこう】。下降気味の【キモチを上昇】にする。すること、やることに【感謝】をこめて。【めでたい】自分に自身になっていく。いくらか自分の心が折れそうになった場面もあっても、そう決めたら【単細胞】。細胞が勝手に【活性化】。成果が出せるまでまずは、会社の【歴史】に興味を持ち、小布施の町の歴史にも興味を持ち、一緒に働く仲間たちの歴史に興味を持つ。持つのは夢と【人とのつながり】。借りた【恩】は倍にして返す。回数を重ねた【挨拶】。察して先回りできる【フットワーク】の軽さ。軽くはない体重を動きでカバーしてきたあっという間の【4年間】で本当に多くの出会いと経験をさせていただいた。痛い栗を採るのではなく、拾うように、【傲慢な自分】を拾ってくれた会社。感謝と【修行】の4年間なのでした。親しみを感じ、【会社を家族】のように感じるようになったときに気がついたことがある。歩けば歩くほど、出会えば出会うほどにこの小布施町に住む人々が江戸から来た葛飾北斎を温かく迎え入れた時のように、【懐の深さと優しさ】が今もなお脈々と続いている歴史的事実。実はこの4年間が僕にとってかけがえのない【大きな気付き】を与えてくれた。暮れた夕日が必ず西に沈むように、長野市は【歴史ある門前】、西之門町にある実家のふとん屋は沈んだきりになっていないかということである。ある日ふとん屋3代目の父親がつぶやいた『来年はいよいよ【創業100年】になると・・・』このきっかけでもう完全なる店じまいを、沈んだ太陽がもう二度と昇ることのないかのような、ため息交じりのつぶやきを耳にしたとき。時計は再び僕の中で【新たな挑戦】へと時を刻み始めた・・・それが今から4年前、僕がふとん屋の4代目になることを決意させた前向きな困難のはじまりなのである。あるとき【抱いた夢】はいったいどこへ。越えていかねばならない【困難】はまだまだありそうだ。うだつがあがらなくてもいいじゃないか、【遠回りの道のり】でも、確実に前に進んでると自分が納得できる毎日を生きよう。ようは【その差異】をどうやって埋めていくかが楽しみでもあるのだから。

おわり

箱山正一 Shoichi Hakoyama
1974年生まれ
長野県長野市西之門町933-4
箱山ふとん店 4代目
略歴(概略)ベルーナ(総合通販9年)→小布施堂(栗菓子製造販売4年)→箱山ふとん店(実家4年目)
yon4daime@gmail.com
http://hakoyama.com