場所の力「地霊 ゲニウス・ロキ(Genius Loci)」

2009年10月 岩手県花巻市東和町東春山八斗川原旧鯉養殖場 作品タイトル:八斗川原/記憶/道 旧鯉養殖場を洗浄。水を入れ替えた後、戦後のある時期まで土地の産物であった羊毛を置く。


写真・文 / 北澤一伯

 1990年代前半より、私は私の心のために、「荒れはてた場所」を、美術のコードであらわすことのできる「かけがえのない場所」に変容させる仕事をしてきた。
 私は、「荒れはてた場所」を、「荒れはてた私の心」と見立て、「かけがえのない場所」に変容させる仕事を成就させることで、心の問題を超克するという仮説を、自らに課してきたのである。
 制作の志向性からいえば、どこかの地域の無名の土地が、私にふさわしい制作現場である。
 しかし、そのような行為が正しいという確信があるわけではない。
したがって、疑念は当然わきおこって負の思考に翻弄される事も多かった。
確かに、制作行為には過ちも含まれている。作業中、心の問題が塊のように、時には壁のように感じられて、現場に在った。その問題を突破していくプロセスに、心を再構築していくのに必要な美術の特質を含む力の働きがあると気づいたのは、制作計画変更後の修正実行の最中のことである。
 それは表現について、私の考えを深め、負の感覚で作業をしている私の背中をふさわしい方向に後押してくれるような人の言動が、想定外に、しかも突然に、まさに共時性とでもいうべき意味を感じるタイミングで起きることに関わっている。
仕事中の私の前に、土地在住の古老が現れて、地域の歴史や地名の由来をひとしきり語って帰っていく体験もそのひとつだ。

 例えば10年ほど前、バリ島北部の寒漁村で崩れた井戸を作品化する行為をおこなっている時のこと。村の老人が椰子の樹々の間から歩いてき近づいて、この井戸の水は、村人の産湯に使われたのだと身振りをまじえて話しかける。私が、『「わかった」』と感謝の言葉をそえて答えると、彼はにっと笑って椰子の林に帰っていく。老人の裸の背中から、「場所の力」としかいえないような、私に語りかけたくてウズウズしている憑き物の微妙な水蒸気がたっていると、私は感じる。そして、それ以後、井戸周辺の光景は貴重な祝誕の在り方を、私に見せはじめるのである。

 なぜ、それぞれの土地で、そのように語りかける人がいるのか、私は疑問に思う。
 謎ではあるけれど、おそらく「地霊 ゲニウス・ロキ(Genius Loci)」とは、このように人の身体に宿り憑依して言葉を発する「場所の力」の働きをいうのだと、私が考えている所以になっている。
 さらに、そのような体験の積み重ねが、私に深い慰謝の感慨をもたらし、心の治癒になったことの不思議を想うのである。 
 
『場所の力』(2002年学芸出版社)の著者ロドレス・ハイデンは、「場所の力」について次のように述べている。

「場所の力.それはごく普通の都市のランドスケープに秘められた力である.共有された土地の中に共有された時間を封じ込み,市民の社会的な記憶を育む力である.」
 
 そして、訳者後藤春彦は、「彼女が言う社会的記憶とは、労働者の歴史であり、民族や女性の歴史を意味する。特に地域社会における悲痛な体験や敗北した闘争の歴史を含むものである。これらは、書物に記されたり、公園や広場の銅像となって表徴される、強者や勝者、すなわちメジャーの歴史とは明らかに異なるもので、人々の口伝や街角の何気ない景観などによってのみ伝えられる市井の人々のアイデンティティとも言えるものだろう。」というメッセージを、本書の冒頭に寄稿している。
 
土地の言霊。「地霊 ゲニウス・ロキ(Genius Loci)」の声。それこそ私に「死」の側を選ばせることを拒否し、生きる側に立たせ制作を持続させる力であると、私は感じる。
 場所の力。
例えば、地方都市と集落に、そのふたつの間を貫通する広域農道の周辺の建造物に、貧しい山岳の村に、廃墟に、新興のチープなプレハブ建築に、「風土」と「土着性」というサイトスペシフィックを観ようとする者にむかって出現する何か。
さらに、観ようとする眼差しを否定してくる本質的にヴァナキュラーな何か。
 つまり、日本の2011年3月11日以後の被災地の、土砂で埋められた場所にも、津波の剥奪から取り残された土地にも、さらには放射性物質に汚染された海にも土壌にも、秘められて横たわっている一筋縄ではいかない力のことである。

北澤一伯 Kazunori Kitazawa 1949年長野県伊那市生れ
美術家
1971年から作品発表。74年〈台座を失なった後、台座のかわりを、何が、するのか〉彫刻制作。80年より農村地形と〈場所〉論をテーマにインスタレーション「囲繞地(いにょうち)」制作。94年以後、廃屋と旧家の内部を「こころの内部」に見立てて美術空間に変える『「丘」をめぐって』連作を現場制作。その他、彫刻制作の手法と理論による「脱構築」連作。2008年12月、約14年間長野県安曇市穂高にある民家に住みながら、その家の内部を「こころ内部」の動きに従って改修することで、「こころの闇」をトランスフォームする『「丘」をめぐって』連作「残侠の家」の制作を終了した。韓国、スペイン、ドイツ、スウェ-デン、ポーランド、アメリカ、で開催された展覧会企画に参加。
また、生家で体験した山林の境界や土地の権利をめぐる問題を、「境(さかい)論」として把握し、口伝と物質化を試みて、レコンキスタ(失地奪還/全てを失った場所で、もう一度たいせつなものをとりもどす・プロジェクトを持続しつつ、95年NIPAF’95に参加したセルジ.ペイ(仏)のパフォーマンスから受けた印象を展開し、03年より「セルジ.ペイ頌歌シリーズ 」を発表している。