普通の人の生きる意味

文・写真 / 青野まつり

20160906最近、自分は「人に認められるため・好かれるため」だけに全てを生きてきたのだと気づいてしまった。
それをやめようと思ったものの、「じゃあ今後はなんのために生きるのか?」を考え、数日経っている。
自分は人に嫌われるどころか少しでもイラっとされると、自分に「生きてる価値がない」と思ってしまう極端体質だ。
道で人に舌打ちされたこと、レジのバイトで客に怒られたこと、全てをほぼ毎晩思い出し、職場で怒鳴られた時は病気になった。

「嫌われることなんて気にせず、自分のために生きればいいじゃない!」
でも、そう思うと今度は、自分の中から人への思いやりとか人間の感情が一切なくなってしまいそうで怖い。
なぜなら、自分のこれまでの行いは全て「好かれるため」にやってきたから。
本当の自分の中には、「人間の思いやり」なんて一片も無いかもしれないから。

「好かれるため」の目的をなくしたら、なんのために生きるのか?
「人に嫌われても気にしない」という人は、なんのために生きているのですか?
人に生ゴミを見るような視線を向けられても、「自分は生きていていい」と思えるプライドをみんな持っているのですか?

普通の生き方が知りたい。
でも、そういう普通のことこそ一生掴み取ることができない気がする。

青野まつり Matsuri Aono
1984年生まれ
クリエイター