文 / 鈴木幸野
山ノ内町立志賀高原ロマン美術館
2016年夏季企画展「Touch with Skin 内在する触感」 館内用展示説明文より
出展作家
小橋順明、田淵三菜、疋田義明、西澤伊智朗、
耳のないマウス(松田朕佳、石射和明、石倉一誠、雨宮澪)
≪展覧会のコンセプト≫
本展のタイトルにおいて、本展で意味するところの「触感」が、「Touch with Skin(皮膚で触る)」という外的な「触覚」体験のみを指しているわけではないことを、「内在する」という言葉で補って説明している。皮膚感覚による体験は「自我」(自分とは何か)の形成という内省的アプローチのきっかけとしばしばなりうるが、その科学的に解明しえない感覚全体を「触感」ととらえている。本展は、制作のプロセスそのものとしてその「触感」を用い、敏感に作品へと落とし込む作家をご紹介する。
≪出展作家作品について≫
田淵三菜(たぶち・みな)
這うようにして撮られた森のはざま。カメラのファインダーをとおしてなぞられた被写体の蠱惑は、自然への好奇心と畏怖で全身をぞくぞくとさせた撮影者のエネルギッシュな瞬発力で肉厚に切り取られていく。展示作品を生物として機能させる細胞のような一枚一枚のイメージは、森のミクロとマクロを増殖させる。色の凹凸を目で撫でながら、そして次元を自由に往復できる恍惚をおぼえながら、やがて次元を往復し続けなければならない息苦しさに鑑賞者は気づく。
小橋順明(こばし・まさあき)
備前の土から陶へと変化をとげた結果としての昆虫の姿。昆虫採集における生態観察的な手の痕跡が感じられる。この生命の形を実在させるうえで必然に経る「焼く」という過程を、作り手は火にゆだねることなく客体化する。実在と観念が同一であるという汎神論を保ちつつも、昆虫たちは絶対性と無意識性の合間をいまださまよう。土から陶へと化学変化するはざまの膜(皮膚)そのものが、ときとして実体を持たず、揺らめく空となりうる巡り合わせ。その綾を静かに縫っていく眼差しがある。
耳のないマウス
カタツムリの形に意味づけされた指先への注視は、体から切り離された結果としての鮮烈な触感の体験を鑑賞者に否応なく想起させる(わずかにうごめいているところも含めて)。そして動かない身体と再び結合させられることで、いったんかなぐり捨てたはずの手の意味を仕方なく纏い直すが、意味はうごめきと変容を繰りかえしながら実在と架空のはざまを行き交う。
西澤伊智朗(にしざわ・いちろう)
大きな種子のような形状に焼成された土のまとまり。原初的でありながら、大地に根ざすわけでもなく、宙に舞うわけでもないその独特の存在感は、極力土に触れずして土の気持ちをひきだしていくという独自の成形の考えによる。しかし、「触らない」という手の克己は、その意識下において手を経由せずに働く、身体のダイナミックな力学的作用を鎮めはしない。柔道家でもある作り手は、相手の重心を利用したり自分の体を捨てたりして相手を投げる武術の技を、土と身体の間合いに無為に用いているように見受けられる。
疋田義明(ひきた・よしあき)
くぐもった光のなかに日々自分を取り巻くものが映像化される。それらは主体性を持つことなく立ち現れる。古くもなく新しくもなく、幸せでも不幸でもなく。絵具をつけた指で画面をなぞって質感を出していくという描写方法は、自身の生活の確認作業であるとともに、自身をそのなかに存在させていくために必要な手段として、柔らかではあるが執拗である。描かれたかたちは、それ自体では意味をもたず、指先の擦れをともなってこそ機能するシグナルとして、鑑賞者のほうへと放たれる。
鈴木幸野 Yukino Suzuki
1981年茨城県生まれ
山ノ内町立志賀高原ロマン美術館学芸員
romangakugei@star.ocn.ne.jp
http://www.s-roman.sakura.ne.jp/
展覧会詳細
志賀高原ロマン美術館 夏季企画展
「Touch with Skin 内在する触感」
2016(平成28)年7月24日(日)-10月10日(月・祝)
休館日: 木曜日 8月11日(木・祝)、9月22日(木・祝)は開館
開館時間:9:00-17:00(ただし入館は16:30まで)
入館料:大人500円、小人300円
出展作家:小橋順明、田淵三菜、疋田義明、西澤伊智朗、耳のないマウス(松田朕佳、石射和明、石倉一誠、雨宮澪)
ポスター:廣田義人
まだ参加者募集中です!ぜひどうぞ。
○ワークショップ「指をつかって絵を描こう!」 定員15名 参加費無料 要予約
※クレヨンなどを使いますので、汚れても良い格好でおこしください。
日時:2016年9月10日(土)10:00-12:00
講師(出展作家):疋田義明
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