早く人間になりたい

yoshimuramasami17

文・画像 / 吉村正美

テクスト➀
闇に隠れて生きる
俺たちゃ妖怪人間なのさ
人に姿を見せられぬ
けもののようなこの体
(早く人間になりたい!!)
暗いさだめを吹き飛ばせ
(ベム ベラ ベロ)
妖怪人間

月に涙を流す
俺たちゃ妖怪人間なのさ
悪をこらして人の世に
生きる望みに燃えている
(早く人間になりたい!!)
暗いさだめを吹き飛ばせ
(ベム ベラ ベロ)
妖怪人間

星に願いをかける
俺たちゃ妖怪人間なのさ
正義のために闘って
いつかは生まれ変わるんだ
(早く人間になりたい!!)
暗いさだめを吹き飛ばせ
(ベム ベラ ベロ)
妖怪人間 

作詞 第一動画文芸部
作曲 田中正史
唄 ハニー・ナイツ

” 早く人間になりたい ”
 この言葉の破壊力。この言葉の持つ永遠の難題にとらえられた経験のある者が、今現在もあまねく存在しているとは思いますが、昭和の時代に、この呪の文言を生み出した『妖怪人間ベム』というテレビアニメが、毎週月曜日19時30分~20時00分ゴールデンタイムの時間帯に放送されておりました。全26話。
 内容はバッサリ割愛させていただくとして、このアニメが放映されていた時代というのは、人もものも道具となり、後に”東洋の奇跡”と世に語り継がれた1954年~1973年高度経済成長期の真っ只中でして、特に妖怪人間放映年の1968年はGNP(現在ではGNI)世界第2位となった年でもあります。
 日本だけではなく、この時代は世界各地に~の奇跡と名打たれる経済成長が起こっておりますが、やはり日本のハネ方はもの凄かったのでしょう。目指せ一億総中流!そ~そ~!
 また、そんな1968年頃は怪奇、妖怪といった類がブームとなっていたようです。
 この” 奇跡 ”の中、このような” 奇 ”な作品が作られたのは必然であり、時代のある種の遺産でしょうな。なぜって、上だけを見てこんなにも前へ前へと疾走した時代、横や後ろ斜めや下には、見えてなかった、見ようとしなかった ” 早く人間になりたい ”と語りかけてくるもの多そうじゃないですか。

吉村正美 Masami Yoshimura
1973年長野市生まれ
画家
多摩美術大学にて版画を習う。
大学院在学中より制作活動に放浪活動が組み込まれ、以後除々に放浪活動に浸食され、遂には制作活動休止状態になるも、2007年復活。

2016年8月 個展 / FFSラウンジギャラリー