ナマコを触りたい

文 / 今井あみ

いつだっけか水族館でナマコを触った。
友だちは水に向かってナマコを投げつけていました。
テレビでナマコをブツ切りにしている番組があるよ。と教えてもらったのに見るのを忘れていたなぁ。

夏になると必ず田んぼにいくのです。
アメンボはどこからくるのでしょう?
冬の間はどうしているのでしょう。冬は田んぼに水がないですし。水関係は冬になると凍りますし。
水辺まで飛ぶの?歩くの?はたまた、ホウネンエビのように乾燥卵で冬を越すの?
調べたらすぐに分かるんだろうけど、もうちょっと想像して実際に現場を押さえたい。
なので、今はまだ。

「知った」と思って満足しちゃって、その「知った」という型を改めて練りなおそうと思わなくて、「それ、知ってる」って通り過ぎていたのかもしれない。
そのとき何が起きたのか分からないけど、練りなおしてくれるもの、あるいは人に出会ったとき、スーッとすき間があく。ちょうどデザートは別腹!のような。
もうおなかいっぱいのはずなのに、苺タルトを見ると「食べるー!」ってなるときのような。

生まれたての子はジーッと色んなものを見てる。キョトンとして。
あのときみたいな状態がずーっとつづいてもいいのに。というか、きっとみんな中身はあんな状態なんじゃないか。年を重ねた大人も本来は。
知ってるフリ。覚えたフリ。分かってるよそんなこと。知らないとヤバイからって。
無理にねじ込もうとしても入らなくて、スーッとすき間があいたときに入ってる。気がつけば。

浸透させていく。
スタンプの補充インクを無理やり浸透させようとしても浸透しなくって。
説明書には浸透するのに一晩かかると記載があった。
そういうことなのか。

知人から「てんとう虫の越冬がキモチワルイんだよ」ってのを教えてもらった。
キモチワルイもの。
じめじめした土の上にある、大きめの平らな石を持ち上げたとこにひろがる景色。
何かしらいる。土にもぐっていく細長い虫。だんごむしの親子。
もっとキモチワルイもの。
冬のあいだ外に忘れて置きっぱなししていた油かすの中でスクスクと育っていたハエの子どもたち。
ワカサギ釣りをするとき、ピンク色のかわいいエサをつけて釣る。

なめくじが意気揚々と前にすすむ。
スルスルスル――ッと後ろにだらしない粘液をキラつかせて。
フーッと息を吹くと触覚を引っ込める。
すこし経つとまたニョキーッと出す。
わりばしでつまもうとすると、トゥルントゥルンに丸くなって、わりばしから落ちる。

そこに何かある。
そこに存在するということは、きっとなんらかの影響を及ぼす。
”ただそこにある”
”ただそこにいる”
それによって変化しない、影響がないということは可能なのだろうか。
視界の一部、注目もしないし、目障りでもない。

トコトコーって、蜘蛛が横切る。
通り道でしたか、ごめんね。って、ボールペンをどけて道をあける。
蜘蛛は苦手。
つぶすときもあれば、こういうときもある。
わたしの気まぐれひとつ。

空気にさわったっていう感触はないのに、袋にとじ込めると空気を手にとって感じることができる。

声が聞きたいなぁとか、あぁ会いたいなって思うのはどういうことなんだろうか。
最初からかけがえのない人になるんじゃなくて、ってこと?
一緒に居た年月とかけがえのない人になるっていうことは、比例しないんだろうけど。

ちょっとかまって欲しいけど、それ以上かまって欲しくないとか。
怖いと思っていたものを、相手も怖いと思っていたりとか。
心を痛めるところがおんなじだったとき、親しみを感じるとか。
地球なんてすごくちいさくて、人間なんてノミみたいなもんなら、
プチッと爪で潰されるまで、ジタバタ生きればいい。

ふくらはぎがつった。
自分で解決できるのにメールした。
本当はもっともっと聞いて欲しいことがあったのに。

溶けこんでしまえ。
目立たず。
取り残されず、出来すぎず、やりすぎず、やらなすぎず。

泣きたかったんだと思う。思いっきり。
会いに行ったのは涙を流すためだよ。
おなじ景色を眺めて、おんなじ時間をおんなじ空間を過ごす。
そのためだよ。

「もっと勉強してね」
って、見ず知らずの京都から来たおっちゃんにガッカリ幻滅された。
「おりゃーっ!」と、いらない大量の紙の束に投げ技を決めた後、メキメキと謎のパワーがうまれた。
紙の束のヒモが緩んだから直す。
悲しかったんだと思う。
決して人様にはお見せできない、お見せしてはいけない光景。
かといって自分の中のジメジメした環境で育てたら、もっとお見せできないものが育ちそう。
きのこを育てるのであれば、ある程度湿った環境の方がいいのかもしれないけど、この菌を湿らせた陰湿な環境下で育ててもマスクメロンにはならないと思う。
ちなみにわたしはブナしめじとエリンギが好きだ。
最近は、マイタケも気になっている。

本の物質的な値段は、たしか紙とインクで構成されているので想像のつく値段だろう。
その他、輸送代や装丁代もろもろのことは分からないが、そのもの自体の物質の値段は、50ページ程度の本ならば50~100円程だろうか。厳密には分からないが。
某リサイクルショップへ売ったら、50ページ程のマンガの本なら10円とか5円だろう。
あるいは紙資源へのリサイクルをすすめられる。
そんな紙とインクで構成されている本が、50円以上のものを与えてくれる。(と、わたしは思っているのですが。)
物質自体がカビくさくなっていたり、水にぬれた後があったり、日焼けしていたりすると、売却時の値が下がる。
物質にカビは生えていても、内容にカビは生えていないのに。
新しい紙にまた同じ配置でインクをのせれば値は下がらないのに。
それが最近不思議に思う。
目に見えるものの価値で判断する。
目に見えない価値って、はかれないのねぇ。

イスに洗濯バサミで吊るしているぞうきんは、そのうちに牛乳のにおいがしてくる。

おにごっこの最中、おににつかまりそうになるといきなり「バリア」を使う。
「10秒までバリア使えるんだよ」って。

今井あみ Ami IMAI
1990年長野市生まれ
表現する人/社会人
imaiami1990@gmail.com