作品タイトル:稗史(はいし)拾遺 刺客の風景
制作年:2013年6月
素材:古地図 公図 鉄鋼材 硝子
武州青石 アクリルケース 覗きケース台
場所:N+N展 練馬区立美術館
文・作品 / 北澤一伯
『遠野物語』111。『 山口、飯豊、附馬牛の字荒川東禅寺および火渡、青笹の字中沢ならびに土淵村の字土淵に、ともにダンノハナという地名あり。その近傍にこれと相対して必ず蓮台野(れんだいの)という地あり。昔は六十を超えたる老人はすべてこの蓮台野へ追い遣るの習(ならい)ありき。老人はいたずらに死んで了(しま)うこともならぬ故に、日中は里へ下り農作して口を糊(ぬら)したり。そのために今も山口土淵辺にては朝(あした)に野らに出づるをハカダチといい、夕方野らより帰ることをハカアガリというといえり。』
私は『遠野物語』111には実話のような実感を持つ。そこに記された「蓮台野(れんだいの)」「ダンノハナ」と同様の場所が、「でんで」という地名で私の所有地と地続きの土地に墓地として在るためだ。遠野では棄老伝説をともなう「蓮台野」は,この世とあの世の狭間にある<他界>である。マルティン・ハイデガーのいう「その死に向かって存在している」ところの現存在の時間性を、空間的に疎外したと『共同幻想論』でふれた吉本隆明は、村境の向こう側の地域に作為的に設置された<他界>の在り方を農耕民の特質としている。
たしかに空間に見える形で観念を差し出した墓制には、日本の地方のどこにでも遍在する微差異な異文化を形成し表象している人の営みの元型があると私は思う。「でんで」と呼ばれる墓所には、私と同郷の伊那の人々の一生に対する見方考え方、他界観、哲学、土地の記憶、地域の歴史、霊的な場所と情念領域についての思考が、具体的に空間にさしだされていると考えられる。
『遠野物語』111の後半は棄老伝説の記述といわれているのだが、遠野から遠く離れた土地で、語られた内容を連想するような場面が出現していることは興味深い。墓地と隣接する土地に畑仕事にきている初老の男を偶然見る機会に恵まれた時、私はある感じ方を持ったことがあった。その時の私は、<今見ているのは遠野の民譚を柳田国男に語った佐々木喜善の眼差し>に近いのではないのかと感じたのだった。このことを、美術関係者数人に話してみたが、だれも驚いてもくれず関心も示してくれなかった。墓の話など縁起でもないという感じだったのだ。そして私自身、最後まで語る気力を見失っていた。
今年五月。母の葬儀の後、菩提寺の指示に従って七日ごとに塔婆を納骨をすませた墓まで持っていった頃のこと。私はある眼差しの中を歩いている気分になった。それは、私が「蓮台野」まで歩んだ者と同じ地平を歩んでいるという実感で、初夏の風景がどろんとした液体のような空間に変容して見えたのだった。
私の体験は、奇譚として誰かが別な誰かに伝えることができる内容だと思われる。しかし、洗練された表現からは限りなく遠ざかっていく、将来の死譚のように思えてならない。
北澤一伯(きたざわ かずのり)Kazunori Kitazawa
1971年から作品発表。74年〈台座を失なった後、台座のかわりを、何が、するのか〉彫刻制作。80年より農村地形と〈場所〉論をテーマにインスタレーション「囲繞地(いにょうち)」制作。94年以後、廃屋と旧家の内部を「こころの内部」に見立てて美術空間に変える『「丘」をめぐって』連作を現場制作。その他、彫刻制作の手法と理論による「脱構築」連作。2008年12月、約14年間長野県安曇市穂高にある民家に住みながら、その家の内部を「こころ内部」の動きに従って改修することで、「こころの闇」をトランスフォームする『「丘」をめぐって』連作「残侠の家」の制作を終了した。韓国、スペイン、ドイツ、スウェ-デン、ポーランド、アメリカ、で開催された展覧会企画に参加。
また、生家で体験した山林の境界や土地の権利をめぐる問題を、「境(さかい)論」として把握し、口伝と物質化を試みて、レコンキスタ(失地奪還/全てを失った場所で、もう一度たいせつなものをとりもどす)プロジェクトを持続しつつ、95年NIPAF’95に参加したセルジ.ペイ(仏)のパフォーマンスから受けた印象を展開し、03年より「セルジ.ペイ頌歌シリーズ 」を発表している。その他「いばるな物語」連作、戦後の農村行政をモチーフにした「植林空間」など。現在継続しているプロジェクトに「池上晃事件補遺 刺客の風景」と、『くりかえし対立する世界で白い壁はくりかえしあらわれる「固有時と固有地」』(長野市松代大本営地下壕跡)がある。
|