置時計

文 / 西達也

ぼくは今年で39歳になります。
あたりまえですが来年は40歳です。
一言で40と言われてもあまりピンときませんが、
すでに40年生きてきたことになります。
40年生ですね。
40年生って、かなりですね。
キテレツの勉三さんもビックリな浪人ぶりです。
おそらく腰を抜かしますね勉三さん。
腰が飛び出るんじゃないでしょうか。

そう言えばキテレツ大百科という漫画本は、
後にも先にも、祖父に買ってもらった唯一の本でした。
小3か小4の頃、
確か祖父が長野市内へ出掛けた際のお土産でした。

うれしかった反面、子どもながらにとても複雑な心境でした。
当時キテレツは全くの無名で、
周りはキン肉マンやらドラゴンボールが流行っていた時代です。
にもまして、いきなりの3巻!
しかも3巻1冊だけ!
3巻といったら大抵の漫画は主要な登場人物の紹介が終わっています。
なにものだよコロ助って~!とか、
なんでキテレツって言うんだよ~!とか、
どことなくドラえもんに似ている~!とか。

そもそも祖父も年老いていたので、
もしかしたらドラえもんをパクった変な漫画を、
怪しい書店のこれまた怪しい店員に、
「これドラえもんの最新刊ですよ!」
「お孫さん絶対喜びますよ!」
なんて詐欺まがいなことを言われ、
騙されたのにも気付かずに嬉しさ満タンな気分で買ってきたのかな、
なんてことを当時本当に思ったりしていました。
なので、
「どうしていきなり3巻なの?」とか、
「なんで少しドラえもんに似てるけどドラえもんじゃないの?」
なんてことは、口がさけようが、鼻血がでようが、
その鼻血が止まらなくて喉に入ってくるのが気持ち悪くて
たまに口から出すと口から血が出ることに少し怯え、
でも喉に入った鼻血の気持ち悪さが勝ってしまうようなことがあっても、
祖父には聞けませんでした。

その後キテレツ大百科はテレビ放映され人気を博しますが、
その当時のぼくの意味不明なハイテンションな状態は、
かなり不可解だったに違いありません。

数年後、祖父は他界しました。
果たして祖父は厳格だったのか、それとも優しかったのか、
おしゃべりだったのか、無口だったのか。
二人に会話があったのか、なかったのか。
そもそもどんな人物だったのか。
いまはもう分からないままです。

それでも実家は少しずつゆっくりとリフォームを繰り返し、
いまぼくは当時祖父が暮らしていた部屋に住み、
もう動かない祖父の形見の置時計を大切に飾りながら、
時々キテレツ大百科第3巻を想い出しては、
ニヤニヤと思い出し笑いを浮かべ、
もうすぐやってくる今年のお盆を迎えるでしょう。

西 達也 Tatsuya Nishi 1974~ グラフィックデザイナー
長野市戸隠生まれ/戸隠在住
東京の印刷会社、プロダクションを経て2011年帰郷
2012年冬より独立兼FlatFileスタッフ
2013年 NISHIGRAPH 主催
nishi24tatsu@true.ocn.ne.jp