文・写真 / 松田朕佳
レトルト食品みたいだね、と手料理を本気で誉めてくれる隣人リネ。彼には人が猫に見えているようです。同僚のアンドレアさんがどうしてもペルシャ猫に見えてしまう彼は自らの飼う猫ターニャに、今日はフランス人のようだね、と声をかけ、彼女は時々日本人のような顔をするんだ、とこっそり私に教えてくれました。
毎日、道端で猫が溶けていくのを見ています。
沈んでいく夕日を目で追いかけ地球の回転をかんじて転びそうになるのに耐えながら、長い文章の断片のような記憶を少しでも多く留めておこうと日々努力しています。
アメリカとメキシコの国境の町、エルパソ。国境を挟んでメキシコ側、シウダーフアレスは近年、麻薬抗争が激しい。アメリカ政府は危険地域として警報を出しているが数十万の人が住み生活をしている。毎日殺戮の起きている場所でも自分に銃口が向くまでは結局他人ごと。通行料50セントを支払い橋を歩いて渡り、銃を脇に抱えたメキシコ南部の軍人たちの鋭い眼光に出迎えられて入国。派手に装飾されたバスは運転手がバス会社からレンタルしたものを自分の趣味で飾るらしい。紫を基調に電飾やファーでゴテゴテに。適当に小銭を渡してお釣りをもらって、バス代は結局いくらだったのか分からないまま、しばらくしてから降車。住宅街にぽつぽつと焼かれた家がある。きれいに真っ黒に。隣近所に燃え移ること無く焼かれた家々はマフィア抗争の痕跡らしい。塗装が燃えて黒くはがれ落ち動物の皮膚のようになった壁に囲まれ穴のあいた天井から昼間の空を見上げれば、数日前にそこにあったであろう暴力は遠い昔の出来事かと想わせるほどに家は古代遺跡のように静かに佇んでいた。
住宅地を通り抜け、辿り着いたマーケットでは様々な薬草、スカンクの干物など、健康食材から魔術まで多様な品物を売っている。ヤギ乳のキャラメルをプラスチックのコップから舐めながら帰り道、ちいさな入り口のバーに立ち寄った。入り口は小さいが奥に広い店内は客一人おらず静まり返っていた。新品のビリヤード台が6台、照明の光を浴びて並んでいる。壁には楽器と酒瓶がところ狭しと並び、長い長いバーカウンターの一番奥で積み上げられた本に埋もれた小さなテレビでディスカバリーチャンネルを観ている中年の男。 彼がこの店のオーナー、ロベルトだが大変な気まぐれで突然怒りだすので客は来ないという。何重にもなった汗染みのついたTシャツを着てホームレスのような身なりをしているのはカモフラージュで、実は周辺の土地を所有する地主であるため、この店も趣味でたまに開けているだけのようだ。気に入らない客はすぐに追い返すと案内してくれた友人に聞いていたので緊張しながらマテを飲んでいた。友人とロベルトがスペイン語で話している間、私はカウンターの上にあるテレビで遺体焼却の歴史を観終え、ギリシャ神話の演劇を観ていた。泣き叫んだり怒り狂ったり、ドラマチックな昔の神様たち。そんなことだからヨーロッパではニュートンの重力に 、日本ではマッカーサーに引きずり下ろされてしまうのよ、と着々と大量生産で繁殖し続けるセラミック製のグアダルーペ聖母の口元には雑に塗られた釉薬が垂れシニカルな笑みが浮かぶ。気が済んだのか私に気がついたのか、私が彼の機嫌を損ねない存在と判断したのか、ロベルトは英語で話し始めた。しばらくして、おまえの英語は日本語の訛りがあっていいな。アメリカ人なんかみたいに喋るのは良くない。と私に向かって言った。国境に住むメキシコの人々にとっては土地を侵略された意識が強いので反米感情も強いようだ。このところ私にとって二カ国語目となる英語をどのように喋ろうかということを考えていた。発音の訛りというだけでなく、日本語を話す時の思考回路のまま英語を話すようにできないかと。やはり母国語というのは意味以上に含んでいるものもあり、二カ国語目の言語というのは単語と意味が直結するため、それ以上の情報は含まない。感情を含まないツールとしての言葉のやり取りにしかならない。英語で本気で怒ろうとしても冷静に単語を選ぶ為に言葉を発する前に怒りも覚めてしまうし言葉に感情を込められないのだ。言葉の持つ抑揚やスピード、間の取り方、日本語特有の語尾の変化や擬音など言語によって様々な違いがあるなか何をどう伝えたいのか、また相手にどのような印象を与えたいかということ。控えめだが知的で嫌みのないユーモアもある、という印象を与えたい私は英語をどう喋るべきかぶつぶつと考えながら、なんなんだあの日本の音楽は、とAKB48を批判するロベルトに、なんでしょうかね、と上の空で適当な相槌をうった。時々人から誉められる、私の適当且つ的確な相槌に気を良くしたロベルトは、私が現代美術作家であることを知ると奥からローリーアンダーソンの90年代初頭パフォーマンスのテレビ放送を彼自身が録画したVHSを出してきた。作家の女というのは理解できんな、というロベルトに、そうですね、とまた相槌を打った。上質のマテは渋みが強く、味の分からない私は初めロベルトの嫌がらせかと思ったが、気を利かせて次に淹れてくれた人工的な香料をふんだんにつけたハーブティーに私の心は和むのだった。ロベルトはミュージシャンでもあり機嫌が良ければ演奏してくれるらしいが、その日はオルガンを少し触っただけで「疲れた」らしく聴くことは出来なかった。その代わりサイクロペディアの部屋という何列にもなる本棚に百科事典がずらりと並んだ部屋を見せてくれた。埃の匂いを嗅ぎながら黄ばんだ薄いページに印刷された文字をめくる。世界のありとあらゆる事柄の知識を抱え込んだこの部屋を前に、私に知りたいことはなく、また、スペイン語の読解力も持ち合わせていなかった。インターネットで何でも調べられる時代になってしまったがな、と言いながら彼の本屋をつくる構想を話してくれた。司書である自分の娘を雇い、天井吹き抜けのカフェのある二階建ての本屋。いつか私はそこで大量の読めない本に囲まれながらロベルトに淹れてもらったマテの深みを味わえたらと想う。
夜も更け、30ペソを国境で払い橋を渡ってアメリカ側エルパソへ。こちら側ではパスポートを出し事務的な入国審査を受ける。銃や軍人が見えない代わりに、法律という重々しい空気の圧迫感に息が詰まる。
松田朕佳 Matsuda Chika 1983年生まれ 美術家
長野市在住
ビデオ、立体造形を中心に制作。2010年にアメリカ合衆国アリゾナ大学大学院芸術科修了後、アーティストインレジデンスをしながら制作活動をしている。
www.chikamatsuda.com
2013年6月アリコ・ルージュトポス高地(松田朕佳展)
TOPOOS Highland Haricoit Rouge 2013
欧風家庭料理店「アリコ・ルージュ」
長野県飯綱町川上 2755 飯綱東高原 飯綱高原ゴルフコース前
phone 026-253-7551
営業時間12時~20時30分
休館・定休日 火曜
http://homepage3.nifty.com/haricot/
http://toposnet.com
メノオト
2013 8.24 sat – 9.9 mon / オブセオルタナティブ
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